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2008年4月2日水曜日

平成20年度発掘調査予定の遺跡について(お知らせ)

 昨年冬に文化財センターでの全ての調査を終えて以来、おおよそ3ヶ月ぶりのご無沙汰となっておりましたが、平成20年度のスタートとともに、このブログも再開いたします。どうか今年度もご期待ください。
 さて、財団法人東広島市教育文化振興事業団文化財センターでは、市民の皆様方をは じめ、広く全国に向け、当センターの事業を紹介することを目的として、普段あまり見ることのできない発掘調査 の状況をご紹介しております。
今年度(平成20年度)は、次の市内8遺跡の調査の実施を予定しています。
 
  ●平成20年度発掘調査地点全図
【地図】

  ●杵原2号遺跡(高屋町杵原)【地図】
    東広島市高屋町杵原地区開発事業に係る発掘調査   弥生~古墳時代

  ●郷1号遺跡(高屋町郷)【地図】
    主要地方道東広島本郷忠海線交通安全施設等整備(1種)事業に係る発掘調査   
古墳時代

  ●溝口4号遺跡(高屋町溝口)【地図】
    東広島呉自動車道建設事業に係る発掘調査  弥生~鎌倉時代

  
●西中郷遺跡(西条町田口)【地図】
    平成20年度農業生産法人等育成緊急整備事業西田口地区に係る発掘調査
   古代~中世

  ●安芸国分寺周辺遺跡(西条町吉行)【地図】
    都市計画道路吉行泉線街路整備事業に係る発掘調査   
奈良~鎌倉時代

  ●山口遺跡(黒瀬町大多田)【地図】
    東広島呉自動車道建設事業に係る発掘調査   中世~近世

  ●黄幡4号古墓(西条町下見)【地図】
    宮東田口線道路改良工事に係る発掘調査   中世

  ●御建遺跡(西条町西条)【地図】
    都市計画道路西条駅北線道路改良事業に係る発掘調査    中世~近世
 
 なお発掘調査中は、周辺住民の皆様および御通行の皆様に大変ご迷惑をお掛けいたしますが、何卒ご理解の程よろしくお願いいたします。

 財団法人東広島市教育文化振興事業団 文化財センター 職員一同

2007年12月5日水曜日

外宮山城跡の発掘調査(12月5日)


細かい作業です・・・

 右上の写真をご覧ください。  
 発掘作業をしている人のまわりから、たくさんの石が出てきているのがお分かりになるでしょうか?
この後さらに石の輪郭がはっきり見えるように、まわりの土を竹べらや移植ごてなどを使って丁寧に取り除いていきます。しかし、取り過ぎると石が動いてしまうので、作業は少しずつ慎重に行われます。 寒い時期におけるこの作業は特に大変です。最近は、冷たい北風とともに小雨が降ったりで、じっとしていると体が冷え切ってしまいます。根気強さとともに寒さとも戦いです。  そして、丁寧に土を取り除くと右下の写真のような状況になりました。出てきた石群は、約3m×6mの範囲に広がっていましたが、何のために敷かれたものかは今のところはっきりしません。素焼きの鍋や擂鉢などが出土していて、14世紀後半ぐらいに造られたことがわかっています。  当初は、もう少し広い範囲に石が広がっていたと考えられますが、現在の道路によって削り取られて失われたものと思われます。    

2007年11月2日金曜日

戸鼻遺跡(11月1日)

発掘調査終了

 
戸鼻遺跡の発掘調査が10月31日をもって終了しました。
福富ダムの建設に伴い行われた緊急調査で、調査面積が2,930㎡、調査期間は5月1日から10月31日までの6ヶ月でした。
 写真は遺跡の全景を現場北側の道路より撮影したもので、写真中央より右手に建設中の橋がみえます。ダムが完成した暁には、この橋がダム湖に架かり新たな国道となる予定です。
 調査期間中は事故もなく無事に終了しましたが、7月の長雨で作業中止日が続き、8月の猛暑により現場作業員さんが数名体調を崩されるなど、全般的に作業量と日程に追われた感のある発掘調査でした。

 これから、発
掘された建物跡などの遺構や土器などの遺物といった発掘成果を整理して、遺跡を後世に伝えていくための報告書作りが始まります。
 最後になりましたが、調査に御協力いただきました皆様、そして、この発掘速報をご覧いただきました皆様、本当にありがとうございました。

2007年10月4日木曜日

戸鼻遺跡(10月1日)

中世の竪穴式住居か?

 遺跡から擂鉢(すりばち)状の大きな穴がいくつか発見されました。柱穴は見つかっていませんが、底面は平坦であり、住居状遺構と考えられます。
 上の写真は土層を観察するために、畦(あぜ)を残して発掘しているところです。土層観察の結果、何回かにわたって黒い土が堆積したことがわかりました。遺構の規模は、直径約4~5m、深さ約0.8mです。 
 下の写真は別の遺構です。こちらは土層観察用の畦を取り払ったところです。穴の底からは人頭大の自然石が出てきました。遺構の規模は直径約5m、深さ約0.8mです。
 これらの穴からは、中世に使われたと思われる素焼きの擂鉢や土鍋などの調理道具が出土しています。もしかしたらここでも、当時の人々が現代と同じように家族で食卓を囲んでいたのかも知れませんね。
 

2007年9月25日火曜日

戸鼻遺跡(9月25日)

縄文時代(?)の落とし穴、発見!!

 下の写真は、戸鼻遺跡から見つかった縄文時代のものと考えられる落し穴です。
 大きさは現状で、直径約1.5m、深さ約1.1mと大きく深い円形の穴です。
 縄文人は、シカやイノシシなどの動物をこのような落し穴に追い込んで捕まえていたと考えられています。穴の下部はさらに小さな穴が深く掘られており、その穴に木を立てたりなどして、落ちた獲物が動けないよう工夫がされています。落し穴は、複数並びまとまって見つかることが多いのですが、
戸鼻遺跡ではこの1基しか見つかっていません。

2007年9月4日火曜日

戸鼻遺跡(8月6日~10日)

職場体験学習

 

 8月6日~10日の5日間、戸鼻遺跡で東広島市立松賀中学校の生徒3名を迎え、職場体験学習を実施しました。

 写真は遺物の発掘を行っている場面です。出土した遺物は画面左下のザルに収集しています。

 炎天下の中、発掘・実測・写真撮影の体験を行いました。自分達で土を掘り、遺物が出土する度に歓声を上げる等、発掘作業が一番興味深かったようです。

 今回学んだ事を今後の人生に僅かなりとも活かして貰えればと思います。

2007年9月3日月曜日

戸鼻遺跡(9月3日)

またまた謎の穴発見

 右の写真は、楕円形の穴をほった写真です。
 穴にはさらさらした黒い土がつまっており、それを取り除くと人の頭ぐらいの大きさの石がたくさん出てきました。

 石の設置状況をよく観察してみると、そのほとんどが平坦面を上にして据えてあり、真上からみると楕円形を半分にしておいているようにみえます。
  
 なお、この遺構からは、土にまじって素焼きのお皿がでてきました。この穴は一体なんのためにつくられたのでしょうか。他の地域の例をしらべながら、明らかにしていきたいと考えております。

2007年8月9日木曜日

戸鼻遺跡(7月20日)




 戸鼻遺跡のある福富町は、鷹ノ巣山、西原山、野路山などの山々に囲まれており、盆地状の地形となっています。当遺跡は、沼田川の支流押谷川西側の小高い丘陵上にある中世の集落遺跡です。
 福富町の別の遺跡からは、弥生・古墳時代の集落、古墳、中世の城跡などがみつかっています。そのほか、住居などの遺構は発見されていませんが、縄文時代の石器類がみつかっており、縄文時代には人が住んでいたことが考えられます。
 戸鼻遺跡は、福富ダムの建設に伴い、当センターにより5月から10月まで発掘調査を実施しています。
 はじめに重機によって表土をはぎ、遺構の確認を行いました。現在、遺跡の性格などを明らかにするため、調査を進めています。

 右の写真は、住居跡を掘っている様子です。

戸鼻遺跡(7月23日)

謎の大穴出現

 石ばかりを詰めたなぞの大きな穴がみつかりました。
 右上の写真は、遺構の上面に堆積していた土を取り除去したところです。大きさは南北約2.5メートル、東西約5メートルもありました。穴に詰まっている石は、遺跡の中でみられるものとよく似ています。
 右下の写真は、穴の西半分を底まで掘った状況です。石が底までしっかりと詰まっています。石の状態をよく観察してみると、自然の力で石がつまったわけではなく、人の手によって埋められたことがわかってきました。出土品は、素焼きのお皿の破片などがでています。 
 今後もこの調査を進めていきますので、この「謎の大穴」について新たなことがわかりましたら、このブログでお伝えする予定です。