2009年4月28日火曜日

竹内屋敷跡(4月28日)



 調査が終了しました!
 本日、遺跡の調査が終了しました。今回の調査で、現在の竹内屋敷の北側にある幅約2~3mの水路は、江戸時代後半まで、幅約6~7mぐらいの広さで屋敷の背後を区画していたことが明らかとなりました。この堀の一部は、蔵を建てるために埋められたと伝えられているので、その時調査した場所も埋められたと考えられます。
 その他には、井戸跡や溝などを検出しました。限られた調査範囲ではありましたが、大きな成果を得ることができました。これから、持ち帰った遺物などを整理していき、報告書を作成していきます。今後、より詳しい成果をみなさんにお伝えできればと考えています。
 遺跡周辺の方々には快く調査にご協力いただきました。おかげさまで、無事調査を終えることができました。ありがとうございました。
(赤い線で囲まれた部分が調査区)

 

2009年4月24日金曜日

竹内屋敷跡(4月24日)


 吉川小学校の児童のみなさんが見学に来てくれました。
 遺跡の調査も終わりに近づいてきました。道路沿いということもあり、地元住民のみなさんも現場をのぞいて行かれたり、調査員に質問されたりと、興味を持っておられるようです。
 調査では、埋め甕を2基検出しました。甕の上側は道路の側溝をつくる時に壊されていました。埋められた時代など、詳しいことはこれから調べていきます。
 今日は、近くの吉川小学校の児童のみなさんが遺跡の見学に来てくれました。授業で歴史を勉強しているそうで、調査員の説明を聞いた後も、熱心に質問していました。中には「調査をしてみたい」と言っている子もいました。ここから未来の調査員が誕生するかもしれませんね。
(写真右下は出土した埋め甕をのぞき込んでいる小学生)

2009年4月16日木曜日

竹内屋敷跡(4月13日)




 竹内屋敷跡の調査が始まりました
 4月13日から八本松町吉川で今年度最初の調査を始めました。
調査面積は約100㎡、調査期間は2週間を予定しています。遺跡名の『竹内屋敷』とは江戸時代に賀茂郡の割庄屋や幕府巡検使などを勤めた竹内氏の屋敷跡のことで、周防(山口)の有力な守護大名で西条周辺をも支配下に治めていた
大内氏の子孫といわれています。『芸藩通史』には先祖からの刀や直垂が伝来すると記されています。
 大内氏は竹内屋敷跡の北西に位置する「槌山城(市史跡)」を守護所として、安芸・備後支配の拠点としていました。江戸時代の絵図の中には竹内屋敷跡を「御屋敷跡」と記したものもあります。こうしたことから、竹内屋敷跡は槌山城の居館として利用されていたと考えられています。
 調査では、溝跡や陶磁器が見つかっています。詳しいことがわかり次第お伝えしたいと思います。

平成21年度発掘調査予定の遺跡について(お知らせ)

 4月に入り当文化財センターも新年度のスタートとなりました。ホームページもレイアウトのリニューアルをおこない、職員一同新しい気持ちで今年度の調査に臨む予定です。
 さて、財団法人東広島市教育文化振興事業団文化財センターでは、市民の皆様方をは じめ、広く全国に向け、当センターの事業を紹介することを目的として、普段あまり見ることのできない発掘調査 の状況をご紹介しております。今年度(平成21年度)は、次の市内4件の遺跡の調査の実施を予定しています。
 
●平成21年度発掘調査地点全図【地図】

●御建遺跡(西条町西条)地図〕
 時代・種別 古代~中世・集落跡

●竹内屋敷跡(八本松町吉川)〔地図〕
 時代・種別 中世・城館跡

●泥田城跡(志和町七条椛坂)〔地図〕
 時代・種別 中世・山城跡

●東田遺跡(高屋町中島)〔地図〕
 時代・種別 弥生~古墳・集落跡

 なお発掘調査中は、周辺住民の皆様および御通行の皆様に大変ご迷惑をお掛けいたしますが、何卒ご理解の程よろしくお願いいたします。

 財団法人東広島市教育文化振興事業団 文化財センター 職員一同