2010年6月18日金曜日

乃美3・4号遺跡(6月18日)

 6月から豊栄町乃美(のみ)で、乃美3・4号遺跡の発掘調査が始まりました。調査は、経営体育成基盤整備事業に伴うもので、9月までの約4ヵ月間の予定です。
 乃美遺跡は、山々に囲まれ、周辺には水田が広がるのどかな場所にあります。(下の写真は、乃美4号遺跡を遠くから望んだものです。調査区は、写真中央奥に見える住宅の前あたりになります。)
 まずは、乃美4号遺跡の調査から取り掛かりました。地面を削って遺構を探す作業にいよいよ入っていきます。
 どのような遺構や遺物が見つかるのか、調査の成果を随一ご紹介していきたいと思いますので、ご期待ください。

【用語解説】
 遺跡:人間が残した痕跡。遺構(動かすことのできないもの。住居跡など)と遺物(動かすことのできるもの。石器や土器など)に大きく分けることができる。




 
 

2010年6月4日金曜日

中組遺跡(5月31日)

 4月から始めた発掘調査も無事、終了することができました。今回は期間の都合上、現地説明会を行なうことができませんでした。ここで調査でわかったことをお伝えしたいと思います。
 まずはじめに、どのように土が盛られているのかを観察するために50㎝幅に塚を掘り残して、全体を掘り下げていきました。(写真1)

(写真1)
この断面の様子から、
 土は、つき固めるなどの崩れない工夫はされておらず、積み上げただけであること
 塚の半分の高さから穴を掘った形跡があること
 ②の発見によって、塚はもともと現在の半分の高さであったこと
 塚の周囲には溝状の落ち込みがあること
がわかりました。
 そして、さらに掘り進めていくと・・・

(写真2)
 このような姿になりました(写真2)。塚のもともとの大きさは直径が13mで、今より一回り大きなものだったようです。そして周囲には幅2m、深さ40㎝の溝がめぐらされていました。
 この塚の真ん中には十字のような浅い穴も見つかりました。これは、の塚の半分の高さから掘られた穴の底部分になります。上から見えた時は幅1m以上の大きな穴であったのに、底の方では幅が30㎝ほどの十字の細い溝のようになっていて、全く形が違っていました。また、穴の底はでこぼこしていて、何かを埋めるために掘ったものではなさそうです。これらから、この穴は盗掘の跡ではないかと考えています。
 昔は、古墳や墓の中のお供えを盗んで売り払うということがたくさん行なわれていました。中組遺跡にある塚も、その形や大きさから泥棒が古墳と間違えたのではないでしょうか?しかも集落から離れていて人目につきにくいので泥棒が狙ったのでしょう。しかし、真ん中から大きく穴を掘り始めたものの、掘っても掘ってもお宝にはたどり着かず、今度は、外へ向かって穴を掘ってみたけれど、結局何も出てこなかったのであきらめたのではないでしょうか。
 調査の結果から、この塚がつくられたのは江戸時代よりも以前であることがわかりました。神社の下を掘るような罰当たりなことを昔の人がするとは思えませんので、泥棒が穴を掘った当時は神社は建てられていなかったのでしょう。そしてその後、二度と泥棒が入らないように神社を建てたのかもしれません。