2009年11月24日火曜日

泥田城跡(11月24日)

 泥田城跡の発掘調査が始まり、3週間が経ちました。調査の経過をご報告します。
 調査は、曲輪(くるわ)の頂上部の発掘調査と曲輪部分と遺跡周辺を含めた地形測量を行っています。

 曲輪の頂上部は、まず腐葉土を取り除く作業から始めました。
腐葉土を取り除いた後、土の堆積の様子を観察するためのアゼを残し、その横に試し掘りのトレンチを設定して、地山面まで掘下げていきました。
 下の写真は試し掘りのトレンチです。
 曲輪頂上部の堆積の様子が下の写真です。
 人工的に土を積み固めて盛っていくという古代の工法である版築の堆積(縞模様の堆積)を確認することができました。

 また、深さ約1m掘下げたところで、地山面が確認できました。さらに曲輪西側では石敷き遺構を確認することができました。


(余談ですが・・・
 アゼからは、キツネもしくはタヌキのものと思われる巣穴の様子まで観察することができました。ちなみに、この巣穴は曲輪を東西に貫いていました。巣穴は写真左と中央に二箇所に観察できました。)


 土の堆積状況を写真と図面で記録した後に、アゼを取り除いて検出された石の広がりを確認していく作業にはいりました。
 下の写真はアゼを取り除いている様子です。

 現段階で石の広がりは約3m×1.5mの範囲で確認でき、一部石が積まれている様子も確認できました。
 その様子が下の写真です。


 今後も、曲輪頂上部の調査とあわせて、遺跡全体の地形測量も引き続き行っていきます。

dor

2009年11月13日金曜日

誰の家?(御建遺跡11月13日)



 前回、お知らせした謎の遺構から、土壁の下地である木舞(こまい)や柱材が出土しました。『木舞』とは柱と柱の間に格子状に細い竹や小枝を組んで、縄でくくったもののことです。(写真下)そして、この上に刻んだわらや麻などを混ぜた壁土を下塗、中塗、上塗と塗り重ねていき、壁が完成します。出土した木舞の大きさは約1~1.5mで5~10cmの間隔で組まれていました。うっすらとですが、縄の痕跡も確認できました。
 また、柱材は太さ約11cm、長さが約1.4~2mのものが4本見つかりました。木には柱と柱をつなぐための穴があけられており、全体には工具で削った痕がはっきりと残っていました。
 
 

大きな謎?溝?(御建遺跡11月2日)

 11月に入り、調査も終わりが近づいてきました。御建遺跡では調査区の中央から、幅約5m、長さ約30mの大きな遺構が見つかりました。この遺構は両端に側溝があり、途中で1本になって北から南へと続いています。(写真①)また、北側(写真①の下側が北)では柱穴と杭列も見つかっています。(写真②)                     写真①                        

                          写真②
 また、この遺構へ出入りするための通路も2箇所見つかっています。(写真①・③)

                  (写真③)
 
 ここからは、青磁や備前焼の甕、木製品、植物などが出土しています。当初は道ではないかと考えていましたが、どうやらそうではなさそうです。この遺構は何に使用されていたのか、じっくり考える必要があります。


 

2009年11月9日月曜日

泥田城跡の発掘調査が始まりました(11月9日)



 今月4日より志和町所在の泥田城跡の発掘調査を開始しました。泥田城跡は戦国時代の沼田城跡の南隣に位置する小規模な城跡で、現在は土塁と高さ10mあまりの曲輪(くるわ)(右写真)がわずかに残っているにすぎません。

 調査は現在残っている曲輪部分の頂上を発掘する予定です。面積は非常に狭いですが、土器片の出土があることから、泥田城跡についての何らかの情報を得ることができると考えられます。
 また、今後の記録のために測量図の作製も行います。

 調査は始まったばかりですが、今後新たに発見があれば本ブログにて公開していきますので、新たな成果をお待ちください。