2007年8月31日金曜日

安芸国分寺周辺遺跡(8月20~24日)

中学生たちが遺物整理作業を体験しました。

 右の写真は、東広島市立高屋中学校2年生の4人による「遺物洗浄作業」の様子です。

 彼らは、8月20日から24日までの5日間、当センターにて職場体験学習を行いました。

 この職場体験学習(わくわく・ワーク)は、東広島市教育委員会が市立中学校の2年生を対象に、毎年実施しているものです。 

 「遺物の材質の違いによって、洗い方にも配慮が必要だよ。」「遺物をよく観察して、使うブラシを替えてね。」などといった職員による遺物洗浄の際の注意にも、彼らはしっかり耳を傾け、上手に作業を行っていました。

 当遺跡から出土したばかりの瓦や須恵器を初めて手にした彼ら。洗浄しながらきれいになっていく遺物を見て、表れる「うつわ」の色や瓦の布目などに興味津々の様子でした。

 

2007年8月27日月曜日

安芸国分寺周辺遺跡(8月20~24日)

炎暑!?お見舞い申しあげます...

 安芸国分寺周辺遺跡の調査は、8月より、第1調査区から第2調査区へと移りました。今後10月末までの予定で調査を継続してまいります。
 8月24日現在、包含層の除去作業を行っており、古代の瓦や須恵器などが出土しています。

 
 しかし、今年は本当に暑いですね~...
 「地球は一体どうなってしまうんだろう...」  そのようなことを炎天下の中の現場で考えてしまうほどのこの暑さ。否、あえて「熱さ」と表現させていただきたい。
 
 右の写真は、お盆明けの週より再開した第2調査区の作業風景です。
 あまりに熱い日々が続くため、写真奥にありますように日よけ用のテントを設置しました。
 なんとかこの
「熱さ」から逃れたい... このテント、果たして現場の救世主となってくれるでしょうか!?
  
 
 

2007年8月10日金曜日

溝口4号遺跡の調査が始まりました(8月6日)




 8月1日から高屋町溝口で,溝口4号遺跡の発掘調査が始まりました。調査面積は約1200㎡で,期間は5ヶ月の予定です。
 上の写真は,調査前の溝口4号遺跡です。北に向かって緩やかに傾斜する水田でしたが,現在は草原になっていました。
 現在は,重機で耕作土などの表土を剥ぎ取り,溝や柱穴などの遺構や出土品が見つかる層の近くまで掘り下げているところです(下の写真)。
 すでにいくつかの出土品が見つかっていますが,多くは鎌倉時代後期から末期に当たる13世紀末から14世紀前半のものです。その他,古墳時代の須恵器や室町時代の土器などが少量出土しています。
 遺跡の南側にある白鳥山頂には,三角縁神獣鏡を出土した白鳥古墳とその上に建てられた白鳥神社があります。白鳥神社は平安時代にはすでに篤く祀られていたとされる古社で,日本武尊の伝説も伝えられています。また,鎌倉・室町時代には麓に多くの寺院が造られ,賑わっていたようです。溝口4号遺跡がどのような性格の遺跡なのか,まだわかりませんが,発掘調査の進展によって,白鳥神社の門前の賑わいの一部分でも明らかにできるかも知れません。

2007年8月9日木曜日

安芸国分寺周辺遺跡(7月30日)



第1調査区の作業風景で、遺構の掘り下げ作業を行っています。

奥に見えている芝生の公園は、安芸国分寺歴史公園で、写真中央の電柱右脇に見えるのが安芸国分寺です。

安芸国分寺歴史公園は、貴重な歴史遺産を保護するとともに、市民の憩いの場として、東広島市によって整備されています。当時の築地塀の位置を生垣で表示したり、講堂や金堂の建物位置も再現してあります。一度足を運ばれてみてはいかがでしょうか。

安芸国分寺周辺遺跡(7月31日)



6月は、梅雨とは思えぬ晴天続きでしたが、7月に入り梅雨らしい天気が続くため、調査も足踏み状態となっています。

第1調査区の調査は、現在中世から近世・近代といった時代の調査を終え、それより古い古代遺構の調査に入っています。

右の写真は、6月末に撮影した中~近世・近代遺構の完掘状況写真です。

戸鼻遺跡(7月20日)




 戸鼻遺跡のある福富町は、鷹ノ巣山、西原山、野路山などの山々に囲まれており、盆地状の地形となっています。当遺跡は、沼田川の支流押谷川西側の小高い丘陵上にある中世の集落遺跡です。
 福富町の別の遺跡からは、弥生・古墳時代の集落、古墳、中世の城跡などがみつかっています。そのほか、住居などの遺構は発見されていませんが、縄文時代の石器類がみつかっており、縄文時代には人が住んでいたことが考えられます。
 戸鼻遺跡は、福富ダムの建設に伴い、当センターにより5月から10月まで発掘調査を実施しています。
 はじめに重機によって表土をはぎ、遺構の確認を行いました。現在、遺跡の性格などを明らかにするため、調査を進めています。

 右の写真は、住居跡を掘っている様子です。

戸鼻遺跡(7月23日)

謎の大穴出現

 石ばかりを詰めたなぞの大きな穴がみつかりました。
 右上の写真は、遺構の上面に堆積していた土を取り除去したところです。大きさは南北約2.5メートル、東西約5メートルもありました。穴に詰まっている石は、遺跡の中でみられるものとよく似ています。
 右下の写真は、穴の西半分を底まで掘った状況です。石が底までしっかりと詰まっています。石の状態をよく観察してみると、自然の力で石がつまったわけではなく、人の手によって埋められたことがわかってきました。出土品は、素焼きのお皿の破片などがでています。 
 今後もこの調査を進めていきますので、この「謎の大穴」について新たなことがわかりましたら、このブログでお伝えする予定です。