4月から始めた発掘調査も無事、終了することができました。今回は期間の都合上、現地説明会を行なうことができませんでした。ここで調査でわかったことをお伝えしたいと思います。
この断面の様子から、
①土は、つき固めるなどの崩れない工夫はされておらず、積み上げただけであること
②塚の半分の高さから穴を掘った形跡があること
③②の発見によって、塚はもともと現在の半分の高さであったこと
④塚の周囲には溝状の落ち込みがあること
がわかりました。
このような姿になりました(写真2)。塚のもともとの大きさは直径が13mで、今より一回り大きなものだったようです。そして周囲には幅2m、深さ40㎝の溝がめぐらされていました。
この塚の真ん中には十字のような浅い穴も見つかりました。これは、②の塚の半分の高さから掘られた穴の底部分になります。上から見えた時は幅1m以上の大きな穴であったのに、底の方では幅が30㎝ほどの十字の細い溝のようになっていて、全く形が違っていました。また、穴の底はでこぼこしていて、何かを埋めるために掘ったものではなさそうです。これらから、この穴は盗掘の跡ではないかと考えています。
昔は、古墳や墓の中のお供えを盗んで売り払うということがたくさん行なわれていました。中組遺跡にある塚も、その形や大きさから泥棒が古墳と間違えたのではないでしょうか?しかも集落から離れていて人目につきにくいので泥棒が狙ったのでしょう。しかし、真ん中から大きく穴を掘り始めたものの、掘っても掘ってもお宝にはたどり着かず、今度は、外へ向かって穴を掘ってみたけれど、結局何も出てこなかったのであきらめたのではないでしょうか。
調査の結果から、この塚がつくられたのは江戸時代よりも以前であることがわかりました。神社の下を掘るような罰当たりなことを昔の人がするとは思えませんので、泥棒が穴を掘った当時は神社は建てられていなかったのでしょう。そしてその後、二度と泥棒が入らないように神社を建てたのかもしれません。