2007年11月5日月曜日

堀城跡(11月2日)

堀城跡って?
 
 堀城跡は東広島市福富町久芳(くば)に位置する城跡です。
 この遺跡は、盆地状の地形に流れる沼田川上流水系によって形成された、丘陵の先端に位置します。上の写真は遺跡を南から撮影したものです。
 周囲には山城跡が多く存在しています。近年では、(財)広島県埋蔵文化財調査センターにより福原城跡の発掘調査が行われ、14世紀後半から16世紀後半にかけて城が存在したことがわかっています。

 
堀城跡表土除去開始!

 堀城跡では、11月2日から表土を除去する作業がはじまりました。今回は、城跡の西側をめぐる堀の一部を調査します。
 下の写真は遺構の上を覆っていた畑の土を重機で取り除いているところです。   
 調査期間は1ヶ月の予定です。 何か新しい発見がありましたら、報告したいと思います。

安芸国分寺周辺遺跡(11月5日)

発掘調査終了記念号
 
 都市計画道路吉行泉線街路整備事業に伴い、5ヵ月間に渡り実施して参りました安芸国分寺周辺遺跡の発掘調査も、先日10月末日を持ちまして終了いたしました。
 今回は、5ヶ月間の調査の模様をダイジェストでお送りします。


 6月 発掘調査開始
 
 第1調査区から調査を始めました。
 調査区の東際(右写真の左側)昨年度の第1・2調査区で発見されていた溝状遺構を今年度も検出しました。

 






7月 溝状遺構の調査


 
第1調査区東際(右写真中央)で検出した溝状遺構・SD1(仮)の調査を本格的に開始しました。
 昨年度の調査と同様、溝幅の全体像を把握することは、既存の道路下にかかるため困難でした。
 また、溝の痕跡は、この第1調査区内において終了するということがわかった。











 右の写真は、SD1(仮)の遺物出土状況を真上から撮影したものです。
 須恵器の杯身や土師器の甕片などが出土しています。

 









 この写真は、先程と同じSD1(仮)の遺物出土状況を西側から撮影した状況です。手前にみえている赤い塊は、焼土と考えられます。










 SD1(仮)を完掘した状況です。
 既存の吉行泉線と並行であることがわかります。
 
 ところで、道路を挟み、右写真の角にわずかに見える道路際の植栽がお分かりになるでしょうか。
 
 この部分を含み、現在公園となっている地点では、以前、当文化財センターが実施した史跡安芸国分寺跡の発掘調査において、築地塀と雨落ち溝の遺構を発見しています。
 やはり、このたびの溝と並行に沿っていることから、その関連が伺えますが、これから発掘調査報告書を製作する段階で、研究を深めたいと考えております。

 次の写真は、実測という測量作業の模様です。
 真ん中にあります隅丸長方形状の遺構の形を書いている様子です。
 原寸大で書くと、紙がいくつあっても足りませんので、遺構の平面図を書く場合、通常であれば、専用の方眼紙に当センターでは20分の1で書くことが多いです。







 平面図を書いた後は、その書いた遺構や地面の標高を書き記しておく必要があります。
 その為の作業が、右写真のレベリングです。
 
 実際どんな風に作業するかといいますと、手前の人が、レベルという測量機器で奥の人が持つスタッフという言わばものさしに記されている目盛りを読むという方法で、標高を図面に記入していきます。

 ただし、記入した標高は、レベルの目線でみた目盛りの数値なので、そのままでは活用できません。
 実際の標高を復元する際には、このレベルの目線の数値から計測した各標高を引いて、数値を割り出す必要があるのです。

7月末 第1調査区の調査終了

 右写真は、第1調査区空中写真撮影の模様です。
 この頃すでに猛暑がやってきておりました。
 しかし、この後もっと厳しい暑さがやって来ようとは・・・












8月 第2調査区の調査はじまる。

 調査の舞台を南側に移し、第2調査区の調査が開始しました。
 







 

9月 時にはこんなことも・・・。

 昨年は非常に多かった局地的な激しい雷雨。
 今年は、暑すぎて大変でしたが、雨が降らないから調査としては助かるなと思っておりました。
 しかし、時にはそんな順調な調査を不意の夕立が襲うこともありました。
 右写真は、排水が間に合わず、調査区の半分程度が水没した第2調査区の状況です。
 夕立の後は、うその様に晴れあがっていました。
 



 これは、掘立柱建物になるかなと考えている柱穴列群です。仮にSB1と名づけています。
 推定箇所も含め考えると、2間×5間の長方形の建物となりそうです。いくつかの柱穴には、柱材が残存していました。
 時期は、検討中ですが、近世の磁器などが出土していることから近世後半あるいは近代にかかるような建物であったのかと想定しております。






10月 ラストスパート!

 いよいよ、最後の1ヶ月。調査も仕上げ段階です。
 さて、そんな中、興味深い柱穴が発見されました。
 右写真は、掘立柱建物と考えられるSB2(仮)の柱穴の一つ(P1)です。
 







 上記のような柱穴は、右写真のようにもう1基発見されました。SB2(仮)のもう一つの柱穴(P2)です。
 なお、こちらは南側に位置する柱穴になります。
 穴の中央にもう一つ浅く小さい穴があるのがお分かりでしょうか?
 ここには、柱材の痕跡が残っていました。








 右は、SB2(仮)のP1とP2という2つの柱穴の中心間距離を示した写真です。おおよそですが、約3.3mあることがわかりました。
 この遺構は、古代の柱穴である可能性もうかがえるのですが、残念ながら特定に必要な遺物が1点も出土しませんでした。
 ということで、その特定には、さらに検討が必要であると考えております。






10月末 調査終了

 そんな訳で、5ヶ月の調査も終了となりました。
 右写真は、第2調査区で出土した遺物です。
 須恵器や土師器といった古代の土器類、近世~近代の陶磁器類など出土しています。
 第1調査区の成果を合わせると、多くの遺物が出土しました。 これから、発掘調査報告書を作成していくにあたり、この成果をまとめ、地域の歴史を解き明かす資料としてまとめていこうと考えております。
 
 では、 安芸国分寺周辺遺跡のブログはこれにて終了いたします。
 
長らくのお付き合い誠にありがとうございました。 

 おしまい

2007年11月2日金曜日

戸鼻遺跡(11月1日)

発掘調査終了

 
戸鼻遺跡の発掘調査が10月31日をもって終了しました。
福富ダムの建設に伴い行われた緊急調査で、調査面積が2,930㎡、調査期間は5月1日から10月31日までの6ヶ月でした。
 写真は遺跡の全景を現場北側の道路より撮影したもので、写真中央より右手に建設中の橋がみえます。ダムが完成した暁には、この橋がダム湖に架かり新たな国道となる予定です。
 調査期間中は事故もなく無事に終了しましたが、7月の長雨で作業中止日が続き、8月の猛暑により現場作業員さんが数名体調を崩されるなど、全般的に作業量と日程に追われた感のある発掘調査でした。

 これから、発
掘された建物跡などの遺構や土器などの遺物といった発掘成果を整理して、遺跡を後世に伝えていくための報告書作りが始まります。
 最後になりましたが、調査に御協力いただきました皆様、そして、この発掘速報をご覧いただきました皆様、本当にありがとうございました。

2007年11月1日木曜日

安芸国分寺周辺遺跡(10月29日~31日)

全ての調査を終了致しました。

 右の写真は、第2調査区の完掘状況を撮影した全体写真です。
 今回の発掘調査は、非常に天候に恵まれ、予定通り作業がはかどりました。第1調査区とあわせて5ヵ月間に渡る調査もこれで終了となりました。 



左の写真は、掘った土を埋め戻している状況です。
 現場を掘り起こしたときのように、バックホーと呼ばれる重機で埋め戻し、地面を平らに整えています。






 右の写真は、埋め戻しを完了した状況です。

 












 









 最後は上の写真にありますように、仮設しておりました現場事務所を撤去して、発掘調査は全て終了となりました。

 何事も無く、無事終了し調査員・作業員一同、安堵しております。 近隣住民の皆様方をはじめ、ご通行の皆様方には、5ヶ月間に渡りご迷惑とご不便ををおかけしましたことをお詫びいたしますとともに、ご理解とご協力を賜りましたことを御礼申しあげます。
 この調査の成果につきましては、今後、発掘調査報告書を作成し、公開していく予定です。
 また、その一部については、また後日、このブログにてご紹介したいと考えております。

2007年10月30日火曜日

溝口4号遺跡の発掘調査(10月30日)


鎌倉時代の東広島呉道路!?

 溝口4号遺跡の発掘調査も佳境を迎え、ほぼ全体像が現れてきました。
 今回は、調査区の北端で見つかった石敷き道路をご紹介します。
 写真は、石敷き道路を掘り出しているところ(上の写真)と、石敷き部分を西上から撮ったもの(下の写真)です。
 道幅は1mほどの狭いものですが、石敷きでない道が南に一直線に続いており、その幅は1.4m~1.8mありますので、全体では1間(約1.8m)の幅を意識した道だったと思われます。
 石敷きの見つかったところからは地形が北に下がっており、さらに西方向からきた流路が石敷き部分でぶつかり、北に向きを変えています。流路で道がえぐられた部分には、数多くの石が投げ込まれ、その上に平たい石が置かれていることから、道が流されないように石で舗装したものと推測できます。
 道は、掘立柱建物跡や民家の敷地と思われる平坦面の間を真っ直ぐ南に延びており、村の中を縦断する主要な道路であったと考えられます。
 道の使われていた時代は、石の間に挟まっていた土器や下の写真あるような流路の中の土鍋などから、鎌倉時代の終わり頃だったことがわかりました。
 溝口4号遺跡の調査は、東広島呉自動車道建設に伴う発掘調査です。この道が、どことどこを結ぶ道だったのか明らかにすることはできませんが、ひょっとしたら、山を越えて呉と溝口を結ぶ道だったかも知れませんね。

文化財センターからのお知らせ

 高屋町・福富町にて新たに発掘調査が始まります

 戸鼻遺跡の発掘調査を終えたばかりの福富町内にて、また、新たに発掘調査が開始いたします。
 
 遺跡は
堀城跡(ほりじょうあと)地図という中世の山城跡です。  国道375号の改良工事に伴う発掘調査で、調査期間は11月いっぱいを予定しております。
 時期を同じくして、高屋町造賀においても山城跡の発掘調査が開始される予定です。こちらの遺跡名は、外宮山城跡(げぐうやまじょうあと)地図といいます。こちらの発掘調査は、おおむね今年いっぱいを予定しております。
 なお、この調査の状況につきましては、後日このブログにて逐次ご報告いたします。どうぞお楽しみに。

2007年10月23日火曜日

安芸国分寺周辺遺跡(10月15日~19日)

ヘリコプターがやってきた!
 
 発掘調査もいよいよ大詰めを迎えました。
そんな中、左の写真にあるように、なんと今日は現場に巨大ヘリコプターが出現・・・!?

 ・・・って、実はこれラジコンヘリコプターなんです。
 発掘調査では遺跡全体を掘りあげた後、その調査範囲全体を撮影するために、このようなラジコンヘリコプター(略してラジヘリ)を利用することが多いのです。



 右の写真にありますように、ラジヘリ専門のオペレーターの方にお願いして撮影を行います。
 住宅街ゆえ、電線や道路等、気を遣うことが多い場所なのですが、熟練の操作によって無事撮影を完了することができました。
 付近の皆様方には、騒音等でご迷惑をおかけしたことと存じます。この場にてお詫び申しあげます。
 
 空中撮影も終了したことで大きなヤマ場を越えました。調査も残り僅か、どうぞ最後までよろしくお願いいたします。