発掘調査終了記念号
都市計画道路吉行泉線街路整備事業に伴い、5ヵ月間に渡り実施して参りました安芸国分寺周辺遺跡の発掘調査も、先日10月末日を持ちまして終了いたしました。
今回は、5ヶ月間の調査の模様をダイジェストでお送りします。
6月 発掘調査開始
第1調査区から調査を始めました。
調査区の東際(右写真の左側)昨年度の第1・2調査区で発見されていた溝状遺構を今年度も検出しました。
7月 溝状遺構の調査
第1調査区東際(右写真中央)で検出した溝状遺構・SD1(仮)の調査を本格的に開始しました。
昨年度の調査と同様、溝幅の全体像を把握することは、既存の道路下にかかるため困難でした。
また、溝の痕跡は、この第1調査区内において終了するということがわかった。
右の写真は、SD1(仮)の遺物出土状況を真上から撮影したものです。
須恵器の杯身や土師器の甕片などが出土しています。
この写真は、先程と同じSD1(仮)の遺物出土状況を西側から撮影した状況です。手前にみえている赤い塊は、焼土と考えられます。
SD1(仮)を完掘した状況です。
既存の吉行泉線と並行であることがわかります。
ところで、道路を挟み、右写真の角にわずかに見える道路際の植栽がお分かりになるでしょうか。
この部分を含み、現在公園となっている地点では、以前、当文化財センターが実施した史跡安芸国分寺跡の発掘調査において、築地塀と雨落ち溝の遺構を発見しています。
やはり、このたびの溝と並行に沿っていることから、その関連が伺えますが、これから発掘調査報告書を製作する段階で、研究を深めたいと考えております。
次の写真は、実測という測量作業の模様です。
真ん中にあります隅丸長方形状の遺構の形を書いている様子です。
原寸大で書くと、紙がいくつあっても足りませんので、遺構の平面図を書く場合、通常であれば、専用の方眼紙に当センターでは20分の1で書くことが多いです。
平面図を書いた後は、その書いた遺構や地面の標高を書き記しておく必要があります。
その為の作業が、右写真のレベリングです。
実際どんな風に作業するかといいますと、手前の人が、レベルという測量機器で奥の人が持つスタッフという言わばものさしに記されている目盛りを読むという方法で、標高を図面に記入していきます。
ただし、記入した標高は、レベルの目線でみた目盛りの数値なので、そのままでは活用できません。
実際の標高を復元する際には、このレベルの目線の数値から計測した各標高を引いて、数値を割り出す必要があるのです。
7月末 第1調査区の調査終了
右写真は、第1調査区空中写真撮影の模様です。
この頃すでに猛暑がやってきておりました。
しかし、この後もっと厳しい暑さがやって来ようとは・・・
8月 第2調査区の調査はじまる。
調査の舞台を南側に移し、第2調査区の調査が開始しました。
9月 時にはこんなことも・・・。
昨年は非常に多かった局地的な激しい雷雨。
今年は、暑すぎて大変でしたが、雨が降らないから調査としては助かるなと思っておりました。
しかし、時にはそんな順調な調査を不意の夕立が襲うこともありました。
右写真は、排水が間に合わず、調査区の半分程度が水没した第2調査区の状況です。
夕立の後は、うその様に晴れあがっていました。
これは、掘立柱建物になるかなと考えている柱穴列群です。仮にSB1と名づけています。
推定箇所も含め考えると、2間×5間の長方形の建物となりそうです。いくつかの柱穴には、柱材が残存していました。
時期は、検討中ですが、近世の磁器などが出土していることから近世後半あるいは近代にかかるような建物であったのかと想定しております。
10月 ラストスパート!
いよいよ、最後の1ヶ月。調査も仕上げ段階です。
さて、そんな中、興味深い柱穴が発見されました。
右写真は、掘立柱建物と考えられるSB2(仮)の柱穴の一つ(P1)です。
上記のような柱穴は、右写真のようにもう1基発見されました。SB2(仮)のもう一つの柱穴(P2)です。
なお、こちらは南側に位置する柱穴になります。
穴の中央にもう一つ浅く小さい穴があるのがお分かりでしょうか?
ここには、柱材の痕跡が残っていました。
右は、SB2(仮)のP1とP2という2つの柱穴の中心間距離を示した写真です。おおよそですが、約3.3mあることがわかりました。
この遺構は、古代の柱穴である可能性もうかがえるのですが、残念ながら特定に必要な遺物が1点も出土しませんでした。
ということで、その特定には、さらに検討が必要であると考えております。
10月末 調査終了
そんな訳で、5ヶ月の調査も終了となりました。
右写真は、第2調査区で出土した遺物です。
須恵器や土師器といった古代の土器類、近世~近代の陶磁器類など出土しています。
第1調査区の成果を合わせると、多くの遺物が出土しました。 これから、発掘調査報告書を作成していくにあたり、この成果をまとめ、地域の歴史を解き明かす資料としてまとめていこうと考えております。
では、 安芸国分寺周辺遺跡のブログはこれにて終了いたします。
長らくのお付き合い誠にありがとうございました。
おしまい