弥生時代のリフォーム
前回に続いて竪穴住居跡(SB2)を紹介します。(写真右上)直径約6.3m、深さは約0.4mです。前回のブログでは柱穴の無い竪穴住居(SB1)を紹介しましたが、このSB2は7本の柱が立っていたと考えています。この状態から、さらに掘り進めていくと、下の写真のように溝とたくさんの柱穴が出てきました。これは、同じ場所で住居の建て替えが何回も行われたことを意味しています。出土した土器はほとんとどが弥生時代後期前半のもので、住居の建て替えは比較的短期間のうちに行われたことがわかりました。
食料が集めやすかった、気候が温暖であったなど、住人がこの場所に住み続けた理由はいろいろ考えられますが、一つには家を建てる労力が最低限で済んだということがあるのではないでしょうか。長い間、住んでいるうちに家は傷んできて、建て替えが必要になってきます。現在のように道具が豊富にあるわけではありません。人の力だけで固い土を掘っていくのはかなりの重労働です。そこで、一度建てた場所を再利用して住んでいたと考えられるのです。
2008年8月28日木曜日
2008年8月26日火曜日
溝口4号遺跡(8月31日)
竪穴住居跡がみつかりました。
調査が始まって約3ヶ月がたちました。現在は調査区のほぼ中央で調査が行われています。
中央からやや南寄りに、弥生時代中期の竪穴住居跡がみつかりました。
上の写真は土の堆積の様子を見るために一部を堀り残して、北から撮影したものです。
下の写真は遺物を残して、上から写したものです。
大きさは、直径約6m、深さは約0.3mの円形です。周囲に10本程度の柱穴が見えますが、全て住居に伴うのかはまだはっきりしません。
中心には炉が存在し、それを挟むように柱穴が出土しました。
これは松菊里(しょうぎくり)型とよばれ、朝鮮半島において、文様がなく全体的に厚手の土器を使用していた人々、いわゆる無文土器文化を形成していた集団により、この住居の作り方が日本に伝えられたといわれています。弥生時代初頭に九州でよく使われていた形態で、以後西日本で急速に発達しました。
遺跡の北に位置する高屋東3号遺跡においても、時代が新しくなりますが、同様の竪穴住居跡が何棟か検出されています。
住居内からは甕や高坏などの弥生土器、そして土器片の一部をが円盤状に丸く加工して、中心に穴を孔けた土製紡錘車などがみつかりました。土製紡錘車は、元来は穴に棒を挿し込み、綿花を巻いて回転させ撚ることにより、糸にする為に使われたものです。土製紡錘車に関しては祭祀に関する遺物と共に出土するケースもあります。今回は甕等の生活用具と共に発見されたことから、生活に根ざした実用品であった可能性が考えられます。
石器も出土しています。狩りなどに使用したと思われる石の矢じり・木の伐採等に使われたと考えられている太型蛤刃石斧・そして物を砕いたと考えられている台石・研磨に使用した大きな砥石もいくつかみられます。また石器を作るときに生じた小指の先程の破片(チップ)も一箇所に集中して多量に出土しており、この場所で石器を製作していたことが推測されます。
まだまだ発掘は続きます。次の成果報告をお楽しみに!
調査が始まって約3ヶ月がたちました。現在は調査区のほぼ中央で調査が行われています。
中央からやや南寄りに、弥生時代中期の竪穴住居跡がみつかりました。
上の写真は土の堆積の様子を見るために一部を堀り残して、北から撮影したものです。
下の写真は遺物を残して、上から写したものです。
大きさは、直径約6m、深さは約0.3mの円形です。周囲に10本程度の柱穴が見えますが、全て住居に伴うのかはまだはっきりしません。
中心には炉が存在し、それを挟むように柱穴が出土しました。
これは松菊里(しょうぎくり)型とよばれ、朝鮮半島において、文様がなく全体的に厚手の土器を使用していた人々、いわゆる無文土器文化を形成していた集団により、この住居の作り方が日本に伝えられたといわれています。弥生時代初頭に九州でよく使われていた形態で、以後西日本で急速に発達しました。
遺跡の北に位置する高屋東3号遺跡においても、時代が新しくなりますが、同様の竪穴住居跡が何棟か検出されています。
住居内からは甕や高坏などの弥生土器、そして土器片の一部をが円盤状に丸く加工して、中心に穴を孔けた土製紡錘車などがみつかりました。土製紡錘車は、元来は穴に棒を挿し込み、綿花を巻いて回転させ撚ることにより、糸にする為に使われたものです。土製紡錘車に関しては祭祀に関する遺物と共に出土するケースもあります。今回は甕等の生活用具と共に発見されたことから、生活に根ざした実用品であった可能性が考えられます。
石器も出土しています。狩りなどに使用したと思われる石の矢じり・木の伐採等に使われたと考えられている太型蛤刃石斧・そして物を砕いたと考えられている台石・研磨に使用した大きな砥石もいくつかみられます。また石器を作るときに生じた小指の先程の破片(チップ)も一箇所に集中して多量に出土しており、この場所で石器を製作していたことが推測されます。
まだまだ発掘は続きます。次の成果報告をお楽しみに!
2008年8月25日月曜日
溝口4号遺跡(8月25日)
鎌倉時代のお墓を発見
溝口4号遺跡の発掘調査は順調に進んでいます。前回は火葬墓を紹介しましたが、今回も墓の発見がありましたのでご報告します。
新たに見つかった墓は火葬墓の東にあります。この墓は火葬墓とは異なっていて、遺体をそのまま長方形の穴に埋めたものです。考古学ではこのような墓を土壙墓(どこうぼ)と呼んでいます。この土壙墓の中には、遺体と一緒に埋められた副葬品があり、土器の小皿と短刀が供えられていました。小皿と短刀は、遺体の頭の両側に置かれていました。短刀は約28㎝で、小皿は5枚重ねて置いてありました。土壙墓が造られた時代は鎌倉時代で、前回報告した火葬墓よりも前に造られたようです。
この土壙墓で興味深いところは、小皿が何枚も重ねられて置かれていた事です。どういう目的で、同じような小皿を重ねたのかはわかりませんが、墓の主が「死の世界」で使う食器を家族の人たちが用意したのかもしれません。
次回は弥生時代の建物跡について報告します。
※写真(上)が土壙墓の全体写真、(下)が重ねられた小皿。
2008年8月14日木曜日
郷1号遺跡(8月11日)
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