2008年8月26日火曜日

溝口4号遺跡(8月31日)

竪穴住居跡がみつかりました。

 調査が始まって約3ヶ月がたちました。現在は調査区のほぼ中央で調査が行われています。
 中央からやや南寄りに、弥生時代中期の竪穴住居跡がみつかりました。


 上の写真は土の堆積の様子を見るために一部を堀り残して、北から撮影したものです。

 下の写真は遺物を残して、上から写したものです。
大きさは、直径約6m、深さは約0.3mの円形です。周囲に10本程度の柱穴が見えますが、全て住居に伴うのかはまだはっきりしません。
中心には炉が存在し、それを挟むように柱穴が出土しました。

これは松菊里(しょうぎくり)型とよばれ、朝鮮半島において、文様がなく全体的に厚手の土器を使用していた人々、いわゆる無文土器文化を形成していた集団により、この住居の作り方が日本に伝えられ
たといわれています。弥生時代初頭に九州でよく使われていた形態で、以後西日本で急速に発達しました。
遺跡の北に位置する高屋東3号遺跡においても、時代が新しくなりますが、同様の竪穴住居跡が何棟か検出されています。


 住居内からは甕や高坏などの弥生土器、そして土器片の一部をが円盤状に丸く加工して、中心に穴を孔けた土製紡錘車などがみつかりました。土製紡錘車は、元来は穴に棒を挿し込み、綿花を巻いて回転させ撚ることにより、糸にする為に使われたものです。土製紡錘車に関しては祭祀に関する遺物と共に出土するケースもあります。今回は甕等の生活用具と共に発見されたことから、生活に根ざした実用品であった可能性が考えられます。
 

 石器も出土しています。狩りなどに使用したと思われる石の矢じり・木の伐採等に使われたと考えられている太型蛤刃石斧・そして物を砕いたと考えられている台石・研磨に使用した大きな砥石もいくつかみられます。また石器を作るときに生じた小指の先程の破片(チップ)も一箇所に集中して多量に出土しており、この場所で石器を製作していたことが推測されます。

 まだまだ発掘は続きます。次の成果報告をお楽しみに!