2009年7月8日水曜日

東田遺跡(7月7日)

弥生時代の竪穴住居跡が見つかりました

 調査区の南東隅から、3基の竪穴住居跡が見つかりました。いずれも後世に一部を削られていますが、その中でも、残存状態の良い竪穴住居跡についてご紹介します。

 竪穴住居跡の範囲を確認後、幅50㎝の十字状のアゼを残しながら、住居跡内を掘り進めました。土器が出たら、下の写真のように竹べらで丁寧に掘り出していきます。
  下の写真は、竪穴住居跡の土砂の堆積の様子を観察・記録保存するために十字にアゼを残した状態のものです。後世に削られていなければ、左の写真のように住居の掘り方が残り、住居の大きさが分かります。右の写真では、写真右側にいくにつれて、アゼの深さが浅くなり、掘り方がなくなっていっているのが分かると思います。これは、写真右側部分が後世に削ら れて、現在残っていないからです。










 住居跡からは、左下の写真のような弥生土器が出土しました。
これら出土した土器から、この竪穴住居跡は、弥生後期のものだと考えています。
弥生土器の甕や壷のほかには、土玉(右下写真)が1点見つかっています。穴に紐を通して、アクセサリーとして弥生人が身につけていたのではないでしょうか。








 

  竪穴住居跡ほぼ中央部には、焼土や炭化物が広がっている部分がありました。アゼを取り除いたところ、その広がりの近くから下の写真のような炉跡が見つかり ました。大きさは約1.0×0.8メートルで、楕円形の炉跡です。
 また、住居跡内からは、たくさんの柱穴がみつかりました。柱穴は、柱を建てた痕跡で建物の上部を支えるためにある程度の深さが必要になってきます。一つ一つ掘っていくのですが、深いものだと約70㎝もあり、掘るのも一苦労です。(下の写真は、柱穴を掘っている様子です。)

  下の写真は、竪穴住居跡を掘り終えた状況です。住居内を回る壁溝が二つに分かれている(写真右部分)のが確認できると思いますが、このことから建て替えが 行われたことが分かります。住居跡の大きさは、建て替え前が約6m、建て替え後が約6.9mと比較的広い住居であったようです。

《余談》ですが・・・ 
 今日は、こんな気象現象を見ることができました。
 太陽が暈を被っている様子です。日暈(ひがさ、にちうん)というようです。天気が崩れる前兆らしいです。