7月から始まった遺跡の調査もようやく終了しました。
その結果、井戸や柱穴、溝状遺構、レンガ遺構など中世から近代にかけての遺構を検出し、多くの調査成果を得ることができました。(上の写真は10月から11月にかけての調査地点の全体写真)
また、須恵器や土鍋、青磁の椀や皿、木製品など、コンテナ約70箱もの遺物も出土しました。
調査を終えてわかったことを少しご紹介します。下の写真は、桁行20m以上、梁間約5mの掘立柱建物跡です。検討の結果、厩(うまや)ではないかと考えられています。厩は、一間ごとの小さな部屋とその一方の外側に一間幅の下屋柱(げやばしら)が並び、その反対側には半間(約1m)の下屋柱が並ぶ構造が一般的です。通常は一間ごとの小さな部屋の幅は2.4mですが、御建遺跡で見つかったものは幅2mでした。さらに、厩の床下には小便溜まりがあるということですが、ここでは見つかりませんでした。厩に特徴的な遺構が確認できなかったため、断定することはできませんが、彦根城のように2m幅の厩も存在することからこの建物跡も厩と考えるのが一番可能性が高いと思われます。もし、この建物跡が厩だとすれば宿場町として知られる「四日市宿」ならではの遺構と言えるでしょう。