2011年10月25日火曜日

うめの辺遺跡(10月25日)


 今回は、出土した遺物を紹介します。
現在、遺跡からは土器や須恵器、金属製品が出土しています。
 写真①は、須恵器の坏です。底が上を向いた逆さの状態で出土しました。少々、ゆがんでいますが、ロクロや職人の指のあとがよくわかります。この須恵器が作られたのは、その形から8世紀後半ころのものと考えられます。


           (写真①)



 写真②は鉄製の刀子と考えられる金属製品です。刀子とは現代の小型の万能ナイフのようなものです。付近からは、同じような金属製品がいくつか出土しています。また、この刀子が出土した周辺には炭化物の広がりや焼け土が見られ、何らかの関連があるのではないかと考えています。



 
            (写真②)


うめの辺遺跡(10月19日)

 高屋うめの辺1号遺跡現地を会場とした近畿大学工学部の公開講座「東広島学」の講義が行なわれました。
 まず、当センターの職員が遺跡全体の説明をした後、実際の発掘作業を体験していただきました。
 
 全員に体験してもらうために、一人一人の作業時間をあまり取ることができなかったのですが、現場の雰囲気は味わっていただけたでしょうか?
 この他、講師の東広島市教育委員会文化課 妹尾課長補佐が東広島市内の遺跡から出土した弥生土器や須恵器について説明されました。今回は講義ということで、特別に土器を手に持ってその感触や重さを確かめていただきました。みなさん熱心に聞かれ、説明の後も講師の方を囲んで次々と質問が出ていました。

 今回の講義で、近畿大学のみなさんに少しでもうめの辺遺跡や発掘調査について知っていただけたのではないかと思っています。また、講義に限らず、当遺跡では見学を歓迎しています。授業の合間にぜひいらしてください。
 

 

2011年10月24日月曜日

乃美1号遺跡(10月20日)

 5月から約6ヵ月間におよぶ発掘調査が終了しました。

 限られた面積の調査ではありましたが、弥生時代の堅穴住居跡や環濠、弥生時代終末~古墳時代初頭の溝、中世の掘立柱建物跡など多くの成果を得ることができました。(下の写真は、調査後の遺跡を空から撮影したものです。)
  これから、出土した遺物の接合・復元を行ったり、調査のデータを整理したりして、調査成果をまとめていく作業に入ります。



 最後になりましたが、調査にご協力いただきました皆様に、深く御礼申し上げます。
 今後とも、発掘調査にご理解ご協力のほど宜しくお願いいたします。

乃美1号遺跡(10月12日)

 堅穴住居跡が多数見つかった調査区とは別に2か所の調査区を調査しました。
 
 環濠(かんごう)と思われる溝状の遺構や堅穴住居跡が1軒見つかりました。






 下の写真は、環濠と堅穴住居跡の写真です。一部の検出になりますが、手前から奥にかけて半円状に環濠がみつかりました。環濠の上部は削平を受けているため、実際の規模は分かりませんが、検出された面で幅は約1.3m、深さは約0.8mありました。
 堅穴住居跡は、人が作業しているところにあり、土器片が集中して見つかりました。

 もうひとつの調査区からは、掘立柱建物跡が見つかりました。土師質土器が柱穴から出土していることから、中世の建物であると思われます。

乃美1号遺跡(9月28日)

 前々回にご紹介した場所から西に延びる調査区の調査成果についてご紹介します。
 下の写真は、調査後の写真です。
 堅穴住居跡が4軒と土器が多量に出土した溝状の遺構が見つかりました。
 写真手前から堅穴住居跡が3軒並んで見つかっています。いずれも住居の約半分が調査区外のため、半分しか調査できませんでした。手前から2つは住居の周囲を廻る壁溝をもつ円形の住居です。もうひとつは、壁溝をもたない隅丸方形の住居です。


 また、4軒目の堅穴住居跡は壁溝をもたないもので、平面形はおそらく隅丸方形であったと思われます。この住居跡は、他の住居跡とは違い壁際に沿うように大きさ約1.3×0.6~0.9m、深さ約0.3~0.5mの土坑をもっていました。主柱穴は2本で、炉はなく、出土遺物から弥生時代後期の住居跡と推定されます。(下の写真)