2011年9月2日金曜日

うめの辺1号遺跡・第1号古墳・第2号古墳

近畿大学工学部東広島キャンパス(東広島市高屋うめの辺)の拡張工事に

係って、 平成23年7月から高屋うめの辺遺跡の発掘調査を行っています。

近畿大学周辺では、 昭和60年(1985年) から、

東広島ニュータウン遺跡群として発掘調査が行われ、

古墳や竪穴住居跡などが見つかっています。

今回発掘調査をおこなっているうめの辺1号遺跡では、

表土を取り除いたところで、 竪穴住居跡や段状遺構など

が見つかっています。

発掘作業員の中には、近畿大学付属東広島高校を卒業して、

大学で考古学を専攻している学生が、夏休みを利用して、

実際に発掘現場を体験し、測量をしたり図面を描いたり、

遺跡の掘り下げなどをおこないました。

「高校に通っている時は、こんなに身近に遺跡があるなんて

知らなかったです。」とのことでした。





また、先日は、中国からの

留学生が発掘の体験をされ、


夏の暑い時期でしたが、

                                                                 はじめての体験を楽しんでいる様子でした。

                                     


ちょっと気にしてみると、みなさんのまわりでも発掘調査がおこなわれているかもしれません。


(目印はブルーシートかな・・・・・)

調査の詳細につきましては、随時ご報告させていただきます。                                                                      

2011年7月27日水曜日

乃美1号遺跡(7月26日)

 前回の最後にご紹介した土器がたくさん出土しているという黒色土について、調査の経過をご報告します。下の写真が、中世の生活面の調査を終え、黒色土を掘り下げていく前の状況です。この状態のときにははっきりとは分かりませんでしたが、何基かの堅穴住居跡があるのではないかということで、調査を進めていきました。
 調査を進めていくと、黒色土部分からは堅穴住居跡6基と溝1条が見つかりました。
下の写真をよく見てください。堅穴住居跡と溝が何重にも重なり合っているのがわかりますか?  ほぼ同じところに何度も住居を建て替えているということは、この土地がよほど住み良い場所だったのでしょう。
 





 今回は、何度も建て替えが行われた住居の1つである写真奥の堅穴住居跡について、ご紹介します。
 調査区には住居の約半分しかかかっていないのですが、直径約10mの規模で円形の堅穴住居跡です。    住居内からは炉と思われる炭化物層や焼土層のある土坑や多数の柱穴が検出されました。壁溝が多数あり、何度も拡幅しながら建て替えが行われたようです。

 この堅穴住居跡からは、土器などたくさんの遺物が見つかりました。また、碧玉製の管玉や小型の壺がほぼ完形の状態で見つかるなど大変興味深い住居です。(下の写真) 調査が進むにつれ、遺跡の性格が明らかになってきていますが、調査途中のため、まだ詳細の分かっていない黒色土部分があります。今後はその部分の調査を進めていき、遺跡の全容を探っていきたいと思います。

2011年6月27日月曜日

乃美1号遺跡(6月27日)


 乃美1号遺跡の発掘調査を開始して、約1カ月が経ちました。



 精査を終えて、大きく分けて2つの時代(弥生時代と中世)の遺構面があることが分かりました。




 まずは、たくさんの土坑(どこう)と柱穴(ちゅうけつ)を調査しました。これらからは、土師質土器(はじしつどき)や釘が出土したので、中世の遺構であることが分かりました。



 下の写真は、中世の遺構を調査し終えた様子です。何棟か掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)が建っていたと考えられます。





 現在は、中世の遺構面の調査を終え、弥生時代の遺構(上の写真の黒い土の部分)を調査しています。  この黒色土からは、大量の弥生土器や石鏃(せきぞく)などが出土しています。また、堅穴住居跡(たてあなじゅうきょあと)と思われる遺構も見つかっていますが、まだ調査途中のため、詳細が分かり次第、ご紹介いたします。

2011年5月23日月曜日

乃美1号遺跡(5月23日)

乃美1号遺跡の発掘調査が始まりました。

 5月中旬より、豊栄町乃美(のみ)でほ場整備に伴う発掘調査が始まりました。
 
 調査面積は約3000㎡で、場所は賀茂北高校のすぐ北にあたり、9月までの約5ヵ月間の予定です。
 (下の写真の右上に写っているのが、賀茂北高校です。)



 写真は、遺構を探すために地面を精査している様子です。


 精査の結果、いくつか柱穴と思われるものや土坑、溝と思われるものがみつかっています。


 それぞれの詳細については、今後調査を進めていき、徐々にご紹介していきたいと思います。

2011年2月15日火曜日

職場体験学習

今年度の市内中学生による職場体験は、高屋中学校2年生の2名です。
文化財センターの主な仕事だる、遺跡の発掘調査などを体験してもらいました。
現場作業は、古墳時代の竪穴住居跡の掘り下げや、測量を手伝ってもらいました。
また、土器の洗浄作業も体験してもらいました。
普段使わない筋肉を使ったり、根気が必要だったり・・・。
しかし今回の経験を通して、歴史や文化財のことを少しは身近に感じてもらえたでしょうか?

2010年10月14日木曜日

乃美3号遺跡(9月30日)

 1ヶ月半にわたる乃美3号遺跡の発掘調査を、無事終えることができました。
 調査にご理解、ご協力いただきました方々に、厚く御礼申し上げます。

 調査の概要について、ご紹介します。
 下の写真は、乃美3号遺跡の様子をラジコンヘリで空から撮影したものです。
 乃美3号遺跡からは、以前にご報告した竪穴住居跡や土器が出土した土坑以外にも、たくさんの遺構がみつかりました。
 建物跡は、堅穴住居跡3基、掘立柱建物跡2棟、その他にもたくさん柱穴があるので、何棟か建物が建っていたと思われます(下の写真)。それ以外には、溝や石列、炉などもみつかりました。
 乃美3号遺跡の時期については、土器の埋まっていた土坑(古墳時代)の検出状況・建物跡の軸の方向・出土遺物の様子などから3つの時期に分けることができそうです。出土した遺物は、弥生土器から近現代の陶磁器やガラス瓶など、多種多様です。出土した遺物の多くは、古墳時代と中世のものですが、それぞれの建物跡などの遺構の時期については、現在のところ特定できていません。今後、発掘調査で得られた資料の整理作業を行い、さらに詳しく調べていきます。

2010年10月12日火曜日

乃美3号遺跡(9月30日)

 乃美3号遺跡の調査成果について、今回は、集石遺構をご紹介します。
 
 直径約60cmの円形に組まれた石が、赤く焼けている状態で見つかりました。後世に上の部分を削られているため、上部構造は分かりませんが、”火”を使った施設に間違いはないでしょう。食べ物を焼いたり、煮たりするときに使われた炉の可能性もあります。時期については、遺物がないため分かりませんでした。