2007年9月25日火曜日

安芸国分寺周辺遺跡(9月21日)

発掘調査点描~その2~
一直線に伸びるこの機械。発掘現場では非常に重宝するものなのですが… さて、これは一体なんでしょうか? ↓     ↓     ↓




 正解は、土を自動的に運ぶための機械「ベルトコンベアー」でした。  発掘調査では、多量の土が出るため、このような機械が必要となる場合が多いのです。  当センターをはじめ、全国の多くの発掘調査機関で利用されており、“ベルコン”の略称で親しまれています。


戸鼻遺跡(9月25日)

縄文時代(?)の落とし穴、発見!!

 下の写真は、戸鼻遺跡から見つかった縄文時代のものと考えられる落し穴です。
 大きさは現状で、直径約1.5m、深さ約1.1mと大きく深い円形の穴です。
 縄文人は、シカやイノシシなどの動物をこのような落し穴に追い込んで捕まえていたと考えられています。穴の下部はさらに小さな穴が深く掘られており、その穴に木を立てたりなどして、落ちた獲物が動けないよう工夫がされています。落し穴は、複数並びまとまって見つかることが多いのですが、
戸鼻遺跡ではこの1基しか見つかっていません。

2007年9月21日金曜日

溝口4号遺跡の発掘調査






弥生の環濠?現る!!

 9月に入って、溝口4号遺跡の具体的な様相が、徐々に明らかになってきました。
 調査区の中央から南寄りの西側では、鎌倉時代頃と思われる掘立柱建物跡が見つかっていますが、さらにその南側で、調査区を横断するように、ほぼ南北方向の大きな溝が見つかりました。
 掘り進めていくと、溝の深さは1m以上、幅は広いところで3m近くにもなる、V字形の溝であることがわかりました。
 当初は、鎌倉時代の集落に伴うものではないかと考えていましたが、溝の中からは弥生土器以外出土しなかったことから、これが、弥生時代の大きな溝であることがわかりました。
 全体のほんの一部しか調査ができないので、断言はできませんが、弥生時代のV字形の溝といえば、「環濠」(かんごう)と呼ばれる、集落を囲むお城の堀のような溝であることが普通です。
 環濠の可能性のあるものを含めても、市内で4例目となる貴重な遺跡です。
 眺めのよいこの場所に、かつて堀に囲まれた弥生の大きな村が広がっていたのでしょうか。

 写真は、溝を検出した状況と掘っている作業風景です。

2007年9月10日月曜日

安芸国分寺周辺遺跡(9月7日)

発掘調査点描~その1~
「9月の調査風景より」

 
9月になっても暑い日々が続きます。
 このブログをご覧いただいているみなさまもきっと残暑でお疲れのことと存じます。
 夏の疲れが出る時期ですので、どうぞお体にはご自愛ください。
 そんな中、発掘調査もがんばっております。



 古代の遺構が存在する面より上層の土(遺物包含層)を除去している様子です。



 古代の遺構面です。「どこにあるかなぁ?」と道具で土を削りながら、遺構を探している様子です。


 発掘調査で使う道具は、非常にたくさんあります。
 ちなみに調査で使用する道具は「刷毛」や「竹串」だけではありません。
 これらの発掘道具ですが、全国各地の土質などにより、その道具も違います。
 上記写真のような検出作業の場合、当センターでは、主に小型の両刃鎌(「ミニ三角」とか「ガリ」などと言います。)を利用します。

 機会がありましたら、道具の紹介もしてみたいと考えております。



2007年9月4日火曜日

戸鼻遺跡(8月6日~10日)

職場体験学習

 

 8月6日~10日の5日間、戸鼻遺跡で東広島市立松賀中学校の生徒3名を迎え、職場体験学習を実施しました。

 写真は遺物の発掘を行っている場面です。出土した遺物は画面左下のザルに収集しています。

 炎天下の中、発掘・実測・写真撮影の体験を行いました。自分達で土を掘り、遺物が出土する度に歓声を上げる等、発掘作業が一番興味深かったようです。

 今回学んだ事を今後の人生に僅かなりとも活かして貰えればと思います。

2007年9月3日月曜日

戸鼻遺跡(9月3日)

またまた謎の穴発見

 右の写真は、楕円形の穴をほった写真です。
 穴にはさらさらした黒い土がつまっており、それを取り除くと人の頭ぐらいの大きさの石がたくさん出てきました。

 石の設置状況をよく観察してみると、そのほとんどが平坦面を上にして据えてあり、真上からみると楕円形を半分にしておいているようにみえます。
  
 なお、この遺構からは、土にまじって素焼きのお皿がでてきました。この穴は一体なんのためにつくられたのでしょうか。他の地域の例をしらべながら、明らかにしていきたいと考えております。