西中郷遺跡の発掘調査終了。
西中郷遺跡の発掘は、7月31日をもって終了しました。
一ヶ月という短い期間でしたが、実りの多い発掘調査となりました。
写真を交えながら報告します。
一番上の写真は第1調査区の南半部を、北西から撮影したものです。
写真は全景写真を撮るために、きれいな遺構面をだしているところです。
南半部は主に包含層が堆積していました。弥生~古代~中世~近世の遺物が出土しています。
もしかしたら調査区の北側あたりに、昔の人々が生活していた跡があるのかもしれません。
真ん中の写真は第1調査区の北半部を、南西から撮影したものです。
北半部は主に中世から近世にかけての溝と穴がみつかりました。
溝は排水の為であると考えられますが、穴の用途はまだわかっていません。
一番下の写真は第2調査区を西から撮影したものです。
中心には、中世の溝がつくられています。
周囲からも中世から近世の溝、近世と考えられる柱穴が複数出土しています。
柱穴群の出土場所には、何らかの建物が建っていたことが考えられます。
以上、今回の発掘調査では、中世から近世までの貴重な遺構、そして包含層からは弥生~古代~中世~近世まで各時期の遺物がみつかっています。
ちなみに、遺跡から持ち帰った遺物は文化財センターで、洗浄・出土場所を記入する作業を経て、接合されます。どのような形になるか楽しみです。
2008年7月28日月曜日
2008年7月23日水曜日
西中郷遺跡(7月23日)
西中郷遺跡の発掘が進んでいます。
調査から2週間が経過し、遺跡の性格が少しずつ見えてきました。調査区は2つあります。面積が大きな第1調査区、もう一つは面積が小さな第2調査区です。
第2調査区は東端から西にかけて緩やかに地面が少しずつ下がります。現時点で3本の溝と柱穴がみつかっています。写真3は調査区の中心を通る溝を、東方向から撮影したものです。溝からは弥生時代の土器や古墳時代の土師器、中世の火鉢などが出土しました。他の2本の溝の時期については、近世と考えられますがまだはっきりとわかっていません。
今年の夏も猛暑の日々が続いておりますが、掘り進める度に中世の人々の貴重な痕跡が少しずつみえてきて、努力が報われる思いがしています。少しでも今後の研究の為になるように、真摯に調査を行ない、皆様に成果を報告できればと思います。次回をお楽しみに。
調査から2週間が経過し、遺跡の性格が少しずつ見えてきました。調査区は2つあります。面積が大きな第1調査区、もう一つは面積が小さな第2調査区です。
第1調査区は北端の微高地から南端に向かって地面が少しずつ下がります。南半部には弥生~古墳~古代~中世の包含層が20㎝程度堆積していました。写真1は北端でみつかった、溝や穴が集中していた部分を南方向から写したものです。溝は2本切り合っていました。1本は近世、もう1本はそれより古い溝です。穴の埋土から施釉陶器片が見つかりました。
写真2は陶器が見つかった場面です。中世のものと考えられます。他にはいくつかの柱穴が検出されています。
写真2は陶器が見つかった場面です。中世のものと考えられます。他にはいくつかの柱穴が検出されています。
第2調査区は東端から西にかけて緩やかに地面が少しずつ下がります。現時点で3本の溝と柱穴がみつかっています。写真3は調査区の中心を通る溝を、東方向から撮影したものです。溝からは弥生時代の土器や古墳時代の土師器、中世の火鉢などが出土しました。他の2本の溝の時期については、近世と考えられますがまだはっきりとわかっていません。
今年の夏も猛暑の日々が続いておりますが、掘り進める度に中世の人々の貴重な痕跡が少しずつみえてきて、努力が報われる思いがしています。少しでも今後の研究の為になるように、真摯に調査を行ない、皆様に成果を報告できればと思います。次回をお楽しみに。
2008年7月14日月曜日
郷1号遺跡(7月12日)
二基の古墳を発見
6月から調査を行っている郷1号遺跡ですが、遺跡の東端と西端でタイプの異なる二基の古墳を検出しました。
東端にある古墳(写真右上)は、横穴式石室という形態の埋葬施設を持つ円墳です。横穴式石室とは、古墳の側面から穴を掘って、その中に遺体を安置する部屋(玄室)とそこへつながる通路(羨道)を石で構築したものです。写真に見える部分は羨道と古墳の入り口をふさぐ閉塞石です。
西端の古墳は(写真右下)、箱式石棺という棺を持つものです。箱式石棺とは、遺体を納める棺を扁平な石を使用して箱形に組み合わせたものです。元々は石の蓋があったはずですが、今は失われています。
二基の古墳は約70mほど離れていますが、その両方から高屋盆地を見渡すことができます。埋葬された人々は変わっていく高屋の風景を眺めながら眠っていたことでしょう。
古墳の詳しい年代などはまだわかっていません。これからの調査で明らかにしていきたいと思います。
6月から調査を行っている郷1号遺跡ですが、遺跡の東端と西端でタイプの異なる二基の古墳を検出しました。
東端にある古墳(写真右上)は、横穴式石室という形態の埋葬施設を持つ円墳です。横穴式石室とは、古墳の側面から穴を掘って、その中に遺体を安置する部屋(玄室)とそこへつながる通路(羨道)を石で構築したものです。写真に見える部分は羨道と古墳の入り口をふさぐ閉塞石です。
西端の古墳は(写真右下)、箱式石棺という棺を持つものです。箱式石棺とは、遺体を納める棺を扁平な石を使用して箱形に組み合わせたものです。元々は石の蓋があったはずですが、今は失われています。
二基の古墳は約70mほど離れていますが、その両方から高屋盆地を見渡すことができます。埋葬された人々は変わっていく高屋の風景を眺めながら眠っていたことでしょう。
古墳の詳しい年代などはまだわかっていません。これからの調査で明らかにしていきたいと思います。
2008年7月8日火曜日
溝口4号遺跡(7月15日)
戦国時代の足跡発見
溝口4号遺跡での発掘調査が始まって、そろそろ1ヶ月が経とうとしています。遺跡の上にかぶっている土を取り除いていくと、溝口4号遺跡の内容がわかってきましたので、ご報告したいと思います。
まず、遺跡の西側では南北に伸びる大溝が発見されました。大きさは、幅約7m、深さ約1.2mで、長さは現在のところはっきりしていません。この溝の中からは、中世の頃の土器が出土していますので、その頃のものであると考えられます。またこの大溝を調査している最中に、約20㎝の人の足あとが残っているのを発見しました。あしの大きさは小さく、女性か子どものものではないでしょうか?この足あとは、大溝を埋めている土の上から発見されたもので、戦国時代ぐらいのものと考えられます。
また、遺跡の東側では弥生時代の土器や遺構が発見されています。遺構は竪穴住居跡、柱穴跡などが中心です。
遺跡の中央付近では、中世ごろの火葬墓が検出されました。火葬墓は直径2m程度の小さなもので、盛り土と焼けた土、炭で構成されています。火葬墓には土師質土器の皿が供えられていました。右はその写真です。
まだ、調査が始まって間もないので遺構の大まかな配置や遺跡のおおよその時期しかわかっておりませんが、引き続き発掘調査を進めていきたいと思います。調査で明らかになったことや、新たな発見があれば随時お伝えしていきますので楽しみにしていてください。
溝口4号遺跡での発掘調査が始まって、そろそろ1ヶ月が経とうとしています。遺跡の上にかぶっている土を取り除いていくと、溝口4号遺跡の内容がわかってきましたので、ご報告したいと思います。
まず、遺跡の西側では南北に伸びる大溝が発見されました。大きさは、幅約7m、深さ約1.2mで、長さは現在のところはっきりしていません。この溝の中からは、中世の頃の土器が出土していますので、その頃のものであると考えられます。またこの大溝を調査している最中に、約20㎝の人の足あとが残っているのを発見しました。あしの大きさは小さく、女性か子どものものではないでしょうか?この足あとは、大溝を埋めている土の上から発見されたもので、戦国時代ぐらいのものと考えられます。
また、遺跡の東側では弥生時代の土器や遺構が発見されています。遺構は竪穴住居跡、柱穴跡などが中心です。
遺跡の中央付近では、中世ごろの火葬墓が検出されました。火葬墓は直径2m程度の小さなもので、盛り土と焼けた土、炭で構成されています。火葬墓には土師質土器の皿が供えられていました。右はその写真です。
まだ、調査が始まって間もないので遺構の大まかな配置や遺跡のおおよその時期しかわかっておりませんが、引き続き発掘調査を進めていきたいと思います。調査で明らかになったことや、新たな発見があれば随時お伝えしていきますので楽しみにしていてください。
2008年7月4日金曜日
西中郷遺跡(7月1日)
西中郷遺跡の発掘調査開始。
西中郷遺跡の発掘調査が始まりました。ほ場整備に伴う調査で、遺跡は広いのですが道路部分の調査で、調査範囲はテニスコート4分の3にあたる約200㎡です。調査期間は7月1日から31日までを予定しています。
遺跡には西条町田口に所在し、低い丘陵に囲まれた平地(現在は水田)に位置します。周囲は、北西に二神山・北東に鏡山がそびえ、南の低丘陵地帯を越えると直近に古河川が見えます。
周辺の遺跡は、旧石器時代~近世にかけての遺跡があります。広島大学キャンパス内に存在した遺跡や、当センターが調査した西東子遺跡・三永水源地窯跡群など数多く存在しています。これらは西条盆地の歴史を復原する為に、貴重な研究資料となっています。
事前の試掘調査では弥生時代から中世にかけての時期の土器が出土しています。発掘調査で発見があり次第、ここでお伝えします。
西中郷遺跡の発掘調査が始まりました。ほ場整備に伴う調査で、遺跡は広いのですが道路部分の調査で、調査範囲はテニスコート4分の3にあたる約200㎡です。調査期間は7月1日から31日までを予定しています。
遺跡には西条町田口に所在し、低い丘陵に囲まれた平地(現在は水田)に位置します。周囲は、北西に二神山・北東に鏡山がそびえ、南の低丘陵地帯を越えると直近に古河川が見えます。
周辺の遺跡は、旧石器時代~近世にかけての遺跡があります。広島大学キャンパス内に存在した遺跡や、当センターが調査した西東子遺跡・三永水源地窯跡群など数多く存在しています。これらは西条盆地の歴史を復原する為に、貴重な研究資料となっています。
事前の試掘調査では弥生時代から中世にかけての時期の土器が出土しています。発掘調査で発見があり次第、ここでお伝えします。
2008年7月2日水曜日
溝口4号遺跡(6月23日~27日)
職場体験学習
6月23日~27日の5日間、当文化財センターでは、東広島市立向陽中学校二年生3名の、職場体験学習を受け入れました。5日間の中で生徒たちには、現地(溝口4号遺跡)での発掘作業を3日間、室内での整理作業を2日間体験してもらいました。
画像は、現場での発掘作業を行っている写真です。上の写真は発掘作業の一コマで、遺跡西側に存在する大溝を発掘しています。この大溝からは中世のものと思われる土器が出土しており、彼ら自身も何点かの土器を発掘しました。
下の写真はレベルで標高を出す作業をしているところです。他に平板測量、土嚢作り、平面図の作成等を行いました。一通りの作業を体験しましたが、出土品を発見して歓声をあげるなど、現地での発掘作業が一番興味深かったようです。今回の体験で学んだことを、将来の糧にして貰えればと思います。
また、溝口4号遺跡の発掘状況は、全体の表土剥ぎと併行して、大溝の発掘を行っています。新しい発見がありましたら、当ブログで報告したいと思います。
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