2008年11月7日金曜日

溝口4号遺跡の調査が終わりました  その1


5ヶ月に及んだ溝口4号遺跡の発掘調査ですが、10月31日に無事終了することができました。
最後に、溝口4号遺跡の発掘調査成果についてご紹介しておきたいと思います。

溝口4号遺跡は、主に、弥生時代中期(約2000年前)の環濠集落跡と鎌倉時代(約700年前)の溝に囲まれた集落跡からなる遺跡です。

環濠集落については、昨年平成19年度の調査で、幅1~3m、深さ1m余りの環濠と幅30mほどの広場状の空白地帯、そして、掘立柱建物跡群が見つかっています。
今年度の調査では、環濠集落の中心に近い部分を調査しています。見つかったのは竪穴住居跡2棟のみですが、1棟は、直径約6mの大型の建物跡でした。出土 遺物はあまり多くありませんでしたが、鉢や甕、高杯(たかつき)などの土器や石で作られた斧や矢尻などが見つかりました。
下の写真の中央やや上方に目玉のように丸く見えるのが竪穴住居跡です。

今年度の調査区からは、掘立柱建物跡はまったく見つかりませんでした。
以上のような調査結果から、溝口4号遺跡の環濠集落は、おおよそ次のような構造だったといえそうです。
集落の外周には、環濠がめぐらされ、所によっては2重になっていました。環濠のすぐ内側には帯状に広場が作られ、見通しが効くとともに、戦争の時には兵士 が走り回るのに都合が良いようになっていました。その内側には掘立柱建物が何棟も建てられています。倉庫などに使われていたのでしょうか。居住空間はその内側です。竪 穴住居がある程度の間隔をあけて配置されていました。

想像も含めてですが、以上のような景観がこの遺跡の2000年前の姿だったのではないでしょうか。
高屋地区では、これまで数多くの弥生時代の集落跡が見つかっていますが、環濠集落が見つかったのは初めてのことです。見晴らしがよく、やや小高い溝口4号遺跡の環濠集落は、当時の高屋地区の中心だったのかも知れませんね。
(写真上:19年度調査弥生時代環濠跡、写真中:20年度調査弥生時代竪穴住居跡、写真下:20年度調査区)