調査の成果について、ご紹介します。
今回の調査区からは、堅穴住居跡の可能性が考えられる遺構や土坑、柱穴が見つかりました。
また、遺構に伴うものではないのですが、堆積土中より縄文土器の破片が多数見つかりました。
下の写真が縄文土器です。東広島市内では、縄文土器の出土例は少なく、貴重な資料です。
今回の調査区のすぐ南(平成2年度の発掘調査)でも、縄文土器が見つかっており、河内町内には縄文時代から人々が暮らしていたようです。財団法人東広島市教育文化振興事業団文化財センターが発掘調査を行う現場の模様を随時お届けいたします。 発掘調査の臨場感をどうぞお楽しみください。
今回の調査区のすぐ南(平成2年度の発掘調査)でも、縄文土器が見つかっており、河内町内には縄文時代から人々が暮らしていたようです。
現在のところ、柱穴や溝など見つかっています。
また、出土遺物としては須恵器や陶磁器の破片などが見つかっています。
高屋うめの辺1号遺跡現地を会場とした近畿大学工学部の公開講座「東広島学」の講義が行なわれました。
また、4軒目の堅穴住居跡は壁溝をもたないもので、平面形はおそらく隅丸方形であったと思われます。この住居跡は、他の住居跡とは違い壁際に沿うように大きさ約1.3×0.6~0.9m、深さ約0.3~0.5mの土坑をもっていました。主柱穴は2本で、炉はなく、出土遺物から弥生時代後期の住居跡と推定されます。(下の写真)
また、先日は、中国からの
留学生が発掘の体験をされ、
夏の暑い時期でしたが、
はじめての体験を楽しんでいる様子でした。
ちょっと気にしてみると、みなさんのまわりでも発掘調査がおこなわれているかもしれません。

ほぼ同じところに何度も住居を建て替えているということは、この土地がよほど住み良い場所だったのでしょう。
住居内からは炉と思われる炭化物層や焼土層のある土坑や多数の柱穴が検出されました。壁溝が多数あり、何度も拡幅しながら建て替えが行われたようです。
調査が進むにつれ、遺跡の性格が明らかになってきていますが、調査途中のため、まだ詳細の分かっていない黒色土部分があります。今後はその部分の調査を進めていき、遺跡の全容を探っていきたいと思います。
この黒色土からは、大量の弥生土器や石鏃(せきぞく)などが出土しています。また、堅穴住居跡(たてあなじゅうきょあと)と思われる遺構も見つかっていますが、まだ調査途中のため、詳細が分かり次第、ご紹介いたします。
写真は、遺構を探すために地面を精査している様子です。
精査の結果、いくつか柱穴と思われるものや土坑、溝と思われるものがみつかっています。
それぞれの詳細については、今後調査を進めていき、徐々にご紹介していきたいと思います。