泥田城跡の発掘調査が終了しました。
今回は、調査で見つかった遺物についてご紹介します。
城跡の曲輪部からは、青磁・備前のすり鉢・古銭・碁石・刀子などが見つかりました。
下の写真は、青磁の椀です。
上の2点には、体部外側に線描きの蓮弁があり、蓮弁の形が崩れていることから、16世紀代のものと考えられます。
下の写真は、備前焼のすり鉢です。
内側にハケメを観察することができると思います。
また、口縁部の形から備前焼の第Ⅳ期で16世紀前半ごろのものと考えられます。
下の写真は、古銭です。 実物は字がつぶれていて、読みづらいのですが、拓本をとると読みやすくなりました。
写真左の古銭には、■(上)・平(下)・通(右)・寶(左)の文字がありました。おそらく、北宋の太平通寶と思われます。
また、写真右の古銭には、元(上)・■(右)・通(下)・寶(左)の文字があり、北宋の元祐通寶の可能性が考えられます。
いずれも中国から渡来した銭貨もしくはそれを日本にて模鋳した銭貨で、中世の日本において流通していたものです。
そのほか、刀子(左下の写真)や碁石(右下の写真)などが見つかりました。
2009年12月11日金曜日
2009年12月10日木曜日
泥田城跡(12月9日)
前回、石の広がりとして少し触れた遺構について詳しくご紹介します。
石を覆っていた土を取り除いている様子が下の写真です。
刷毛や竹べらなどを使い分けて、石の輪郭をくっきり出していきました。
すると、長さ約3m、幅約1.5mのほぼ長方形の範囲で、深さ約0.45mの集石を確認することができました。端は面を揃えて石が積まれており、石の大きさは拳大から20cm程度でした。
その様子が下の写真です。
石を取り除いていくと、大きさ約5m×約2.6mの掘り込みを確認することができました。
下の写真が石を取り除いた後の掘り込みの完掘状況です。
掘り込み内の堆積土下部では粘土や鉄分の沈着が確認できたことから、水が溜められていたことが推測でき、溜め池であった可能性が高いと考えています。
溜め池として使用しなくなった後に、池の南側を石で埋め立てをして、建物の基礎とした可能性があるのではないかと考えています。
石を覆っていた土を取り除いている様子が下の写真です。
刷毛や竹べらなどを使い分けて、石の輪郭をくっきり出していきました。
すると、長さ約3m、幅約1.5mのほぼ長方形の範囲で、深さ約0.45mの集石を確認することができました。端は面を揃えて石が積まれており、石の大きさは拳大から20cm程度でした。
その様子が下の写真です。
石を取り除いていくと、大きさ約5m×約2.6mの掘り込みを確認することができました。
下の写真が石を取り除いた後の掘り込みの完掘状況です。
掘り込み内の堆積土下部では粘土や鉄分の沈着が確認できたことから、水が溜められていたことが推測でき、溜め池であった可能性が高いと考えています。
溜め池として使用しなくなった後に、池の南側を石で埋め立てをして、建物の基礎とした可能性があるのではないかと考えています。
2009年12月2日水曜日
御建遺跡の調査が終了しました(11月30日)
7月から始まった遺跡の調査もようやく終了しました。
その結果、井戸や柱穴、溝状遺構、レンガ遺構など中世から近代にかけての遺構を検出し、多くの調査成果を得ることができました。(上の写真は10月から11月にかけての調査地点の全体写真)
また、須恵器や土鍋、青磁の椀や皿、木製品など、コンテナ約70箱もの遺物も出土しました。
調査を終えてわかったことを少しご紹介します。下の写真は、桁行20m以上、梁間約5mの掘立柱建物跡です。検討の結果、厩(うまや)ではないかと考えられています。厩は、一間ごとの小さな部屋とその一方の外側に一間幅の下屋柱(げやばしら)が並び、その反対側には半間(約1m)の下屋柱が並ぶ構造が一般的です。通常は一間ごとの小さな部屋の幅は2.4mですが、御建遺跡で見つかったものは幅2mでした。さらに、厩の床下には小便溜まりがあるということですが、ここでは見つかりませんでした。厩に特徴的な遺構が確認できなかったため、断定することはできませんが、彦根城のように2m幅の厩も存在することからこの建物跡も厩と考えるのが一番可能性が高いと思われます。もし、この建物跡が厩だとすれば宿場町として知られる「四日市宿」ならではの遺構と言えるでしょう。
その結果、井戸や柱穴、溝状遺構、レンガ遺構など中世から近代にかけての遺構を検出し、多くの調査成果を得ることができました。(上の写真は10月から11月にかけての調査地点の全体写真)
また、須恵器や土鍋、青磁の椀や皿、木製品など、コンテナ約70箱もの遺物も出土しました。
調査を終えてわかったことを少しご紹介します。下の写真は、桁行20m以上、梁間約5mの掘立柱建物跡です。検討の結果、厩(うまや)ではないかと考えられています。厩は、一間ごとの小さな部屋とその一方の外側に一間幅の下屋柱(げやばしら)が並び、その反対側には半間(約1m)の下屋柱が並ぶ構造が一般的です。通常は一間ごとの小さな部屋の幅は2.4mですが、御建遺跡で見つかったものは幅2mでした。さらに、厩の床下には小便溜まりがあるということですが、ここでは見つかりませんでした。厩に特徴的な遺構が確認できなかったため、断定することはできませんが、彦根城のように2m幅の厩も存在することからこの建物跡も厩と考えるのが一番可能性が高いと思われます。もし、この建物跡が厩だとすれば宿場町として知られる「四日市宿」ならではの遺構と言えるでしょう。
2009年12月1日火曜日
ありがたい遺物?(御建遺跡11月16日)
前回に続いて、出土遺物の紹介をします。井戸の中から写真(上)の石仏が出土しました。大きさは縦35cm、横24cmで、井戸を埋める際に投げ込まれたようです。
また、同じ日に別の遺構から写真(下)の石仏が見つかりました。大きさは縦30cm、横24cmです。少し前から姿が見えていたのですが、うつぶせになっていたため、誰も石仏だとは思っていませんでした。
石仏は顔の形は違いますが、2体とも僧形で蓮華座に座り、手は合掌しているように見えます。おそらく地蔵と考えられます。
調査区内では、その他にも五輪塔の一部(火輪・水輪・地輪)が多数見つかっています。その中のいくつかは建物の礎石として再利用されていました。昔は、墓石もりっぱなリサイクル品だったようです。
2009年11月24日火曜日
泥田城跡(11月24日)
泥田城跡の発掘調査が始まり、3週間が経ちました。調査の経過をご報告します。
調査は、曲輪(くるわ)の頂上部の発掘調査と曲輪部分と遺跡周辺を含めた地形測量を行っています。
曲輪の頂上部は、まず腐葉土を取り除く作業から始めました。
腐葉土を取り除いた後、土の堆積の様子を観察するためのアゼを残し、その横に試し掘りのトレンチを設定して、地山面まで掘下げていきました。
下の写真は試し掘りのトレンチです。
曲輪頂上部の堆積の様子が下の写真です。
人工的に土を積み固めて盛っていくという古代の工法である版築の堆積(縞模様の堆積)を確認することができました。
また、深さ約1m掘下げたところで、地山面が確認できました。さらに曲輪西側では石敷き遺構を確認することができました。
(余談ですが・・・
アゼからは、キツネもしくはタヌキのものと思われる巣穴の様子まで観察することができました。ちなみに、この巣穴は曲輪を東西に貫いていました。巣穴は写真左と中央に二箇所に観察できました。)
土の堆積状況を写真と図面で記録した後に、アゼを取り除いて検出された石の広がりを確認していく作業にはいりました。
下の写真はアゼを取り除いている様子です。
現段階で石の広がりは約3m×1.5mの範囲で確認でき、一部石が積まれている様子も確認できました。
その様子が下の写真です。
今後も、曲輪頂上部の調査とあわせて、遺跡全体の地形測量も引き続き行っていきます。
調査は、曲輪(くるわ)の頂上部の発掘調査と曲輪部分と遺跡周辺を含めた地形測量を行っています。
曲輪の頂上部は、まず腐葉土を取り除く作業から始めました。
腐葉土を取り除いた後、土の堆積の様子を観察するためのアゼを残し、その横に試し掘りのトレンチを設定して、地山面まで掘下げていきました。
下の写真は試し掘りのトレンチです。
曲輪頂上部の堆積の様子が下の写真です。
人工的に土を積み固めて盛っていくという古代の工法である版築の堆積(縞模様の堆積)を確認することができました。
また、深さ約1m掘下げたところで、地山面が確認できました。さらに曲輪西側では石敷き遺構を確認することができました。
(余談ですが・・・
アゼからは、キツネもしくはタヌキのものと思われる巣穴の様子まで観察することができました。ちなみに、この巣穴は曲輪を東西に貫いていました。巣穴は写真左と中央に二箇所に観察できました。)
土の堆積状況を写真と図面で記録した後に、アゼを取り除いて検出された石の広がりを確認していく作業にはいりました。
下の写真はアゼを取り除いている様子です。
現段階で石の広がりは約3m×1.5mの範囲で確認でき、一部石が積まれている様子も確認できました。
その様子が下の写真です。
今後も、曲輪頂上部の調査とあわせて、遺跡全体の地形測量も引き続き行っていきます。
2009年11月13日金曜日
誰の家?(御建遺跡11月13日)
大きな謎?溝?(御建遺跡11月2日)
2009年11月9日月曜日
泥田城跡の発掘調査が始まりました(11月9日)
2009年10月19日月曜日
御建遺跡の発掘調査一般公開を開催しました(10月19日)
10月16・17日に御建遺跡の発掘調査一般公開を開催しました。2日間で約50人の方に来跡いただきました。見学者の多くは遺跡のご近所の方で、自分達の住む地域にこのような遺跡があったことに驚かれていました。皆さん、調査員の説明を聞いて、熱心に質問されたり写真を撮ったりされていました。
また、今回の公開は、普段の発掘作業を行いながらの開催だったため、通常の見学会では見られない、遺構を掘っている様子や、そこから遺物が出土する瞬間も合わせて見学していただきました。皆さんの発掘調査のイメージと実際の様子はどうでしたか?
一般公開を終えて、作業は次の段階に進んでいます。色々と新しい発見もありました。それはまた次回このブログでお知らせしたいと思います。
2009年9月14日月曜日
御建遺跡(9月2日)
今回は今のところ調査区内で一番古い遺構をご紹介します。遺跡のやや東側、前回、紹介したレンガ遺構のすぐ北側に位置します。
直径は2.0~2.5m、深さは3.0m以上の大きさの井戸です。周りを木枠や石で補強していない、地面を丸く掘ったままの素掘りのものです。井戸はこれを含め3つ見つかっていますが、この遺構が一番規模の大きなものです。
上の写真は土の堆積状況を観察するために半分だけ掘ったところです。写真を撮影した後は、実測といって紙に記録していく作業を行います。井戸のように水が湧く遺構では、堆積した土がもろく崩れやすくなっているため、いつもより急いで実測しなければなりません。今回はめでたく今回は最後まで記録することができました。
下の写真は人力で掘れる限界まで掘った状態です。井戸の底までもう少しだったのですが、これ以上掘ると危険なので途中でやめることにしました。井戸の中からは青磁の椀や土師質土器の擂鉢、土鍋、中世の瓦が見つかっています。これらから井戸が使用されていた時期は16世紀中ごろと考えられます。
2009年9月3日木曜日
御建遺跡(9月1日)
遺跡の調査も開始から2か月が経ちました。その間、いろいろな遺構が見つかりました。ここで紹介するのはレンガ遺構です。(写真上)大きさは3.8m×3.8mの正方形で、現状では1.4mほどの高さまでレンガが残っています。このレンガは「イギリス積み」と呼ばれる方法で積まれています。「イギリス積み」とはレンガの長い面ばかりの段と短い面ばかりの段が交互になる積み方のことを言います。
左側の四角い部分(写真中央)は中央に穴が開いていて、内側には煤が付着しています。これは焚口と考えられます。
右側のアーチ部分(写真下)は人が出入りするには小さめで頭を低くしなければなりません。そのため日常的な人の出入りを目的として造られたものではないと考えられます。
遺跡の場所が西条駅周辺ということで醸造に関係するものとも考えられますが、現在のところ、いつごろ、何のために造られたのか謎です。しかしその後は倉庫のようなものとして昭和の時代まで利用されていたと思われます。そこには、排水設備として土管が埋設されていました。その時、土管を埋めやすいようにアーチ部分を壊して広げたようです。
このレンガ遺構の性格については現在調査中です。分かりしだいお知らせしたいと思います。
2009年7月23日木曜日
東田遺跡(7月18日)
東田遺跡の発掘調査が終了しました。
7月18日をもって、東田遺跡の発掘調査が終わりました。
遺跡周辺の方々や関係者の方のご協力により、無事調査を終えることができました。ありがとうございました。
以下、発掘調査の成果を簡単にですが、ご報告します。
調査面積は270㎡と広い調査範囲ではなかったのですが、弥生時代の竪穴住居跡が3基、古墳時代の段状遺構、平安時代の掘立柱建物跡、時期不明の土壙墓が 2基のほか、土坑や溝状遺構、多数の柱穴が見つかりました。(下の写真は、ラジコンヘリコプターによる遺跡全体の様子です。)
特に注目すべきなのは、平安時代後期の掘立柱建物が見つかったことです。調査では、建物跡の柱穴は一部しか見つかってはいませんが、柱穴の配置から阿弥陀 堂建築の遺構ではないかと考えています。今回の調査では、あまり知られていない平安時代の地方の様子をうかがうことができる良好な資料を得ることができま した。
7月18日をもって、東田遺跡の発掘調査が終わりました。
遺跡周辺の方々や関係者の方のご協力により、無事調査を終えることができました。ありがとうございました。
以下、発掘調査の成果を簡単にですが、ご報告します。
調査面積は270㎡と広い調査範囲ではなかったのですが、弥生時代の竪穴住居跡が3基、古墳時代の段状遺構、平安時代の掘立柱建物跡、時期不明の土壙墓が 2基のほか、土坑や溝状遺構、多数の柱穴が見つかりました。(下の写真は、ラジコンヘリコプターによる遺跡全体の様子です。)
特に注目すべきなのは、平安時代後期の掘立柱建物が見つかったことです。調査では、建物跡の柱穴は一部しか見つかってはいませんが、柱穴の配置から阿弥陀 堂建築の遺構ではないかと考えています。今回の調査では、あまり知られていない平安時代の地方の様子をうかがうことができる良好な資料を得ることができま した。
2009年7月21日火曜日
東田遺跡(7月18日)
現地見学会を開催しました
7月18日(土)午後1時半より、東田遺跡において現地見学会を行いました。
雨が続き、天候が心配されましたが、当日は非常に良い天気のなか、見学会を開催することができました。
暑い中、参加者80人と多くの方にお越しいただき、なかには岡山から来られた方もいらっしゃいました。調査員が約1時間程説明した後、自由に遺跡内を散策していただきました。
(下の写真は、掘立柱建物跡の説明を聞いていただいている様子です。)
夏休みということもあってか、たくさんの小学生の姿も見られました。自由研究の課題にしようと熱心に説明を聞いたり、遺跡や遺物を観察している姿が、非常に微笑ましかったです。(下の写真は、その様子です。)
最後になりましたが、参加者の方々をはじめ、関係者の皆さま、誠にありがとうございました。
7月18日(土)午後1時半より、東田遺跡において現地見学会を行いました。
雨が続き、天候が心配されましたが、当日は非常に良い天気のなか、見学会を開催することができました。
暑い中、参加者80人と多くの方にお越しいただき、なかには岡山から来られた方もいらっしゃいました。調査員が約1時間程説明した後、自由に遺跡内を散策していただきました。
(下の写真は、掘立柱建物跡の説明を聞いていただいている様子です。)
夏休みということもあってか、たくさんの小学生の姿も見られました。自由研究の課題にしようと熱心に説明を聞いたり、遺跡や遺物を観察している姿が、非常に微笑ましかったです。(下の写真は、その様子です。)
最後になりましたが、参加者の方々をはじめ、関係者の皆さま、誠にありがとうございました。
2009年7月20日月曜日
東田遺跡(7月18日)
平安時代の掘立柱建物を発見!
調査区の南東部に6基の柱穴が見つかりました。柱穴は、最後列4基(下の写真中央から上に斜めに4基並んでいます。)、その前面に2基(下の写真では手前に2基並んでいます。)が検出され、中の1間が柱間が約3.2m、両端の柱間が2.4mとなっていました。このように中央が広くなる柱の配置は、一間四面の阿弥陀堂建築に見られる形式で、この建物が阿弥陀堂であった可能性を示しています。また、写真手前の柱穴より左に約1m離れた道路沿いに基壇の端を確認することができ、平安時代における高屋地域への浄土信仰の伝播や様子をうかがうことのできる貴重な資料を得ることができました。
建物跡の周辺からは、須恵器の椀、皿、坏、甕、土師器の皿、坏のほか、布目瓦の破片や鉄釘も見つかっており、11世紀ごろの建物であると考えられます。
調査区の南東部に6基の柱穴が見つかりました。柱穴は、最後列4基(下の写真中央から上に斜めに4基並んでいます。)、その前面に2基(下の写真では手前に2基並んでいます。)が検出され、中の1間が柱間が約3.2m、両端の柱間が2.4mとなっていました。このように中央が広くなる柱の配置は、一間四面の阿弥陀堂建築に見られる形式で、この建物が阿弥陀堂であった可能性を示しています。また、写真手前の柱穴より左に約1m離れた道路沿いに基壇の端を確認することができ、平安時代における高屋地域への浄土信仰の伝播や様子をうかがうことのできる貴重な資料を得ることができました。
建物跡の周辺からは、須恵器の椀、皿、坏、甕、土師器の皿、坏のほか、布目瓦の破片や鉄釘も見つかっており、11世紀ごろの建物であると考えられます。
2009年7月8日水曜日
東田遺跡(7月7日)
弥生時代の竪穴住居跡が見つかりました
調査区の南東隅から、3基の竪穴住居跡が見つかりました。いずれも後世に一部を削られていますが、その中でも、残存状態の良い竪穴住居跡についてご紹介します。
竪穴住居跡の範囲を確認後、幅50㎝の十字状のアゼを残しながら、住居跡内を掘り進めました。土器が出たら、下の写真のように竹べらで丁寧に掘り出していきます。
下の写真は、竪穴住居跡の土砂の堆積の様子を観察・記録保存するために十字にアゼを残した状態のものです。後世に削られていなければ、左の写真のように住居の掘り方が残り、住居の大きさが分かります。右の写真では、写真右側にいくにつれて、アゼの深さが浅くなり、掘り方がなくなっていっているのが分かると思います。これは、写真右側部分が後世に削ら れて、現在残っていないからです。
住居跡からは、左下の写真のような弥生土器が出土しました。
これら出土した土器から、この竪穴住居跡は、弥生後期のものだと考えています。
弥生土器の甕や壷のほかには、土玉(右下写真)が1点見つかっています。穴に紐を通して、アクセサリーとして弥生人が身につけていたのではないでしょうか。
竪穴住居跡ほぼ中央部には、焼土や炭化物が広がっている部分がありました。アゼを取り除いたところ、その広がりの近くから下の写真のような炉跡が見つかり ました。大きさは約1.0×0.8メートルで、楕円形の炉跡です。
また、住居跡内からは、たくさんの柱穴がみつかりました。柱穴は、柱を建てた痕跡で建物の上部を支えるためにある程度の深さが必要になってきます。一つ一つ掘っていくのですが、深いものだと約70㎝もあり、掘るのも一苦労です。(下の写真は、柱穴を掘っている様子です。)
下の写真は、竪穴住居跡を掘り終えた状況です。住居内を回る壁溝が二つに分かれている(写真右部分)のが確認できると思いますが、このことから建て替えが 行われたことが分かります。住居跡の大きさは、建て替え前が約6m、建て替え後が約6.9mと比較的広い住居であったようです。
《余談》ですが・・・
今日は、こんな気象現象を見ることができました。
太陽が暈を被っている様子です。日暈(ひがさ、にちうん)というようです。天気が崩れる前兆らしいです。
調査区の南東隅から、3基の竪穴住居跡が見つかりました。いずれも後世に一部を削られていますが、その中でも、残存状態の良い竪穴住居跡についてご紹介します。
竪穴住居跡の範囲を確認後、幅50㎝の十字状のアゼを残しながら、住居跡内を掘り進めました。土器が出たら、下の写真のように竹べらで丁寧に掘り出していきます。
下の写真は、竪穴住居跡の土砂の堆積の様子を観察・記録保存するために十字にアゼを残した状態のものです。後世に削られていなければ、左の写真のように住居の掘り方が残り、住居の大きさが分かります。右の写真では、写真右側にいくにつれて、アゼの深さが浅くなり、掘り方がなくなっていっているのが分かると思います。これは、写真右側部分が後世に削ら れて、現在残っていないからです。
住居跡からは、左下の写真のような弥生土器が出土しました。
これら出土した土器から、この竪穴住居跡は、弥生後期のものだと考えています。
弥生土器の甕や壷のほかには、土玉(右下写真)が1点見つかっています。穴に紐を通して、アクセサリーとして弥生人が身につけていたのではないでしょうか。
竪穴住居跡ほぼ中央部には、焼土や炭化物が広がっている部分がありました。アゼを取り除いたところ、その広がりの近くから下の写真のような炉跡が見つかり ました。大きさは約1.0×0.8メートルで、楕円形の炉跡です。
また、住居跡内からは、たくさんの柱穴がみつかりました。柱穴は、柱を建てた痕跡で建物の上部を支えるためにある程度の深さが必要になってきます。一つ一つ掘っていくのですが、深いものだと約70㎝もあり、掘るのも一苦労です。(下の写真は、柱穴を掘っている様子です。)
下の写真は、竪穴住居跡を掘り終えた状況です。住居内を回る壁溝が二つに分かれている(写真右部分)のが確認できると思いますが、このことから建て替えが 行われたことが分かります。住居跡の大きさは、建て替え前が約6m、建て替え後が約6.9mと比較的広い住居であったようです。
《余談》ですが・・・
今日は、こんな気象現象を見ることができました。
太陽が暈を被っている様子です。日暈(ひがさ、にちうん)というようです。天気が崩れる前兆らしいです。
御建遺跡(7月10日)
2009年6月23日火曜日
東田遺跡(6月23日)
2009年6月18日木曜日
東田遺跡(6月18日)
調査区を精査したところ、調査区西隅に木くず等の混じった灰色の土が見つかりました。
かく乱だと思い掘っていたら、土器が見つかりました。そこで、慎重に掘り下げていったところ、弥生土器の甕や壷が大量に出土しました。かく乱の下に、なにか重要な遺構があるようです。
(「かく乱」とは、かき乱すことですが、考古学上の「かく乱」とは、遺構などが後世に掘り返されて、もとの状況を残していない状態のことです。)
下の写真は、土器を壊さないように、竹べらで丁寧に土を取り除いている様子です。
土器の出土状況(その1)
土器の出土状況(その2)
遺構の性格は、今のところ分かっていません。
今後、更に詳しく調査を進めて、分かり次第ご報告しますので、楽しみにしていてください。
かく乱だと思い掘っていたら、土器が見つかりました。そこで、慎重に掘り下げていったところ、弥生土器の甕や壷が大量に出土しました。かく乱の下に、なにか重要な遺構があるようです。
(「かく乱」とは、かき乱すことですが、考古学上の「かく乱」とは、遺構などが後世に掘り返されて、もとの状況を残していない状態のことです。)
下の写真は、土器を壊さないように、竹べらで丁寧に土を取り除いている様子です。
土器の出土状況(その1)
土器の出土状況(その2)
遺構の性格は、今のところ分かっていません。
今後、更に詳しく調査を進めて、分かり次第ご報告しますので、楽しみにしていてください。
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